■ 久坂部羊 『ブラック・ジャックは遠かった 阪大医学生ふらふら青春記』 新潮文庫 550円+税
久坂部は1955年大阪府生まれ、大阪大学医学部卒、外科医・麻酔科医、小説家。在外公館医務官を経て、2003年『廃用身』(幻冬舎)で作家としてデビュー。本書は医学生・研修医として中之島で過ごした久坂部の青春の日々を綴るエッセイ。京阪電車中之島新線PR誌『月刊島民』(制作は編集集団140B)に09年から3年あまり連載した。13年140Bから単行本刊行。「ブラック・ジャック」の書名は手塚治虫の作品にちなむ。手塚は阪大付属医学専門部卒業。
秀才医学生たちはどんな学生生活を送っているのか? 勉強と研究漬けの学生もいるだろうが、デキの悪いというか「アホ」な学生もいる。猛勉強して合格したものの、授業はさぼり、映画に読書に一人旅、試験はカンニング、金はない。頭の中は女の子のことばっかり。正常な「青春」で私は安心した。しかし、研修医になり医療の最前線に立つと、人の命について、医学界の現状について考え悩む。阪大病院といえば大学医局内の権力争奪を題材にした山崎豊子『白い巨塔』のモデル。久坂部は学内で悪友たちと小説同人誌を作り、小説に登場する大阪の「うまいもん屋」を食べ歩いた。中之島の紅茶専門店ムジカで、「ある女性と運命的な出会い」をする。その女性が描いた絵に感心したのだが、6年ほど経って新聞でまたその絵を見た。1952年21歳で阪急電車に飛び込み自殺した作家久坂葉子との出会いだ。彼女の作品を読み、「その早熟の才能と、死への飽くなき傾斜に強い印象を受けた」。ムジカの主人に絵をコピーさせてもらった。彼女の師ともいえる富士正晴にも会った。「1週間ぶっ通しで二日酔い」という富士と飲んだ。
《富士氏は久坂葉子の死の直後に、彼女の幽霊が現れた話をしてくれ、私の肩の後ろを指して、「そのあたりにぼーっと出てきはったんや」と言った。》
久坂部は富士の家に何度か通って、同人誌『VIKING』同人になった。
《私が久坂葉子に惹かれたのは、医師として常に患者の死と向き合っていたからかもしれない。死はだれにとっても忌まわしいものだと思い込んでいたが、ときどき、死にあまり抵抗せず、大袈裟に嘆いたりしない患者がいた。死を喜ぶわけではないが、受け入れている感じだ。そういう患者は、死を忌み嫌う人よりはるかにやすらかに死んでいた。
死の神秘と魅力。私自身もそれに惹かれる気持があり、久坂葉子の作品に興味を持ったのかもしれない。》久坂の親族や同級生にも会い、資料もある。いつか久坂のことを書いてくれるでしょう。
(平野)シロヤギさんに教えてもらった本。