2016年3月1日火曜日

荻窪風土記


 井伏鱒二 『荻窪風土記』 新潮文庫 19874月刊 

カバーの絵は熊谷守一。

単行本は8211月新潮社より。

 井伏が荻窪に越して来たのは1927(昭和2)年初夏。

《その頃、文学青年たちの間では、電車で渋谷に便利なところとか、または新宿や池袋の郊外などに引越して行くことが流行のようになっていた。新宿郊外の中央沿線方面には三流作家が移り、世田谷方面には左翼作家が移り、大森方面には流行作家が移って行く。それが常識と言う者がいた。関東大震災がきっかけで、東京も広くなっていると思うようになった。ことに中央線は、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪など、御大典記念として小刻みに駅が出来たので、郊外に市民の散らばって行く速度が出た。新開地での暮しは気楽なように思われた。荻窪方面など昼間にドテラを着て歩いていても、近所の者が後指を差すようなことはないと言う者がいた。貧乏な文学青年を標榜する者には好都合なところである。それに私は大震災以前に、早稲田の文科の学生の頃、荻窪には何度か来て大体の地形や方角など知っていた。》

 土地の古老が、関東大震災前は品川の汽船の汽笛が聞こえていた、と言う。武蔵野の平野には田畑や林が続いて遠くの汽笛を遮る建物などなかった。農作物を中心部の市に運ぶ荷馬車が青梅街道を往来していた(帰りは肥桶を運ぶ)。
 井伏は家を建てるにあたって田舎の兄に建築費用を無心した。前述の文壇的傾向を説明し、自分は「美しい星空の下、空気の美味い東京郊外に家を建て静かに詩作に耽る」ことを選び、「人間は食べることも大事だが、安心して眠る場を持つことも必要」、と書いた。兄は送金してくれた。しかし、井伏は大工の棟梁に金を騙し取られて高利貸しから借金する羽目になる。
 世の中は大震災から復興し昭和の戦争の時代。土地の人たちとのつき合いや「文学青年窶れ」の仲間たちを荻窪の自然風景とともに描く随筆集。

(平野)ほんまにWEB更新しています。
 家族の用事で行く江戸の旅の友になんで土地勘のない場所の本を選んだのかというと、用事の合間に当地荻窪にできた新しい本屋さん〈Title〉訪問するから。神戸で手に入れられなかった(見つけられなかったのかもしれないが)本を見つけて感激。手作りブックカバーはシンプルだがほのぼのする。こちらを。http://www.title-books.com/