■ 鶴見俊輔 「思想の科学」私史
編集グループSURE 2300円+税
鶴見の遺稿「倒叙『思想の科学』私史」を中心に、黒川創(84年から編集委員)による鶴見インタビューと回想を収録。
1944年12月、鶴見は胸部カリエス悪化のためシンガポールの海軍通信隊から本土に戻された。
《姉は、私のいない三年足らずの間に、この戦争に反対の思想を守っていた数人の論文を私に見せた。これが、「思想の科学」のもとになる。》
武谷三男、丸山眞男、渡辺慧、鶴見姉弟と共に日米交換船で帰国した都留重人、武田清子。彼らが「思想の科学」創立同人。
鶴見は「思想の科学」の源流を戦前の「世界文化」と「土曜日」に見出す。両誌とも京都で刊行されたが、メンバーが投獄されて2年ほどで終刊した。
《……その執筆メンバーだった武谷三男(物理学者)は、会の全体ではなく、編集委員の意志によって紙面をつくることを、「思想の科学」の原則にすることを主張し、雑誌の続くかぎり「思想の科学」はこの原則から離れることはなかった。(後略)》
46年5月創刊。版元は先駆社、建民社、講談社、中央公論社と変わる。61年、「天皇制特集号」が中央公論社の判断で発売中止になる。62年、会員らは思想の科学社をつくり、自主刊行。96年終刊。
当初、戦争に抵抗した人たちが始めたが、知識人や芸術家、若手研究者、さらに在野の大衆文化研究者など幅広い方面の人たちが参加するようになる。資金難で雑誌を出せない時期は、会員が他誌の原稿料を入れたり、研究会編集で他の出版社から単行本を出したりして活動を維持した。
(平野)
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