■ 小沢信男 『ぼくの東京全集』 ちくま文庫 1300円+税
昨年末から小沢の本が続いていて、ありがたい。
東京をテーマにした紀行文、エッセイ、小説、人物評伝、書評、詩、俳句をまとめる。「一人の作家が書き続けた65年分の東京文集」(帯)。30代の編集者が担当した。
《長生きはするものだな。弱年よりほそぼそつづけてきた六十余年の文業を、一冊でおおよそ通観できる本が編んでいただけようとは。》
第一章 焼跡の街 東京落日譜 女の戦後史・パンパン 敗戦と古本 他
第二章 感傷から骨灰へ――街を歩く 新東京感傷散歩 東京逍遥篇 他第三章 わが忘れなば――小説集 わが忘れなば 昼と夜の境い 他
第四章 記憶の街角 ちちははの記 日比谷公園の鶴の噴水 他
第五章 東京の人 悲願千人斬の女――松の門三艸子 消えていった人、阿部定 他
第六章 東京万華鏡――ぼくの読書録 佐多稲子の東京地図 他
第七章 街のこだま――俳句と詩 句集 東京俳句 街のこだま 他
解説 池内紀
「東京落日譜」 東京大空襲の3日後友人たちと焼け跡を歩き回った体験を後年執筆(58年、「ヤモン」は架空)。
信男少年は同級生ヤモンと被害地見物に出かける。家は空襲を免れた。動員先の工場で既に見物してきた同級生から様子を聞いていた。彼らは親類の見舞いとか用足しの途中とか弁解して、惨状を伝えた。
《罹災地をただ見物にゆくのは、怪しからぬ真剣味のない非国民的態度だと思うことに誰も異議はなかったのだ。》
山手線神田駅下車、焼け跡へ「浮かれた足どりで歩み入った」が、広く静かな焼け跡は「季節外れの汐干狩」のよう。焼死体を見て「韋駄天走りに」走った。何台ものトラックに死体が積み上げられている。ヤモンが猿の丸焼けのようだと言う。後ろを歩いているヤモンも丸焼けになっているのではないかと不安におそわれる。乾パンをかじりながら坂道を登ると小さな映画館があった。映画に出てきた食べ物の話をしながら電車に乗る。乗客たちは疲れきってだまりこんでいる。陰陰としている。
《車中に陰々は充満し、衣服を通してぼくの体内にも侵みこみ、ぼくは膝がくずおれそうで、真鍮棒にしがみついた。》
乗り換えのホームでヤモンが電車とホームの隙間に落ちてしまう。引き上げようとするが空腹で力が出ない。駅員も乗客も助けてくれない。やっとのことでふたりは電車に這いずりこんだ。
《首をあげると、乗客たちはこちらを見るのか見ないのか、眼や耳をなくしたしわくちゃの猿の顔が、蝋燭の灯ほどの仄明かりにずらりとならび、笑い声さえきこえなかった。いったい彼らは生きているのか。/そうして電車は、四つん這いの二匹の猿と、座席にならんで坐った猿たちをゴットンと一揺りゆすっておいて、陰々と大東京の闇の中を走りだした。》
(平野)
神戸空襲の体験記でも、若者たちが大人たちの無気力・腑抜けぶりを書いていた。圧倒的な被害に遭って大人はすぐには立ち直ることはできない。