2017年10月3日火曜日

幕末  非命の維新者

 村上一郎 『幕末 非命の維新者』 中公文庫 1000円+税   

解説・渡辺京二



初版は1968年角川新書。

村上一郎(192075)、評論家、小説家、歌人。三島由紀夫事件後、自刃。本書には日本浪曼派・保田與重郎との対談も収録されていて、思想的には〈右〉の人だろうが、簡単に言えない。渡辺の紹介では、「英国流市民主義思想」「土着的ナショナリズム」「農本主義」のことばが並ぶ。戦後、村上自身が指針に、「米国的資本主義勢力駆逐」「共産主義革命」と書いている。渡辺は村上の思想を、《……日本の農村社会の生んだ精神の高潔、生の哀れを知る情緒のゆたかさ、仁義の二字に表わされる共同的正義感、……》と表現する。

書名にある「非命」とは、「天命でないこと。特に、意外な災難で死ぬこと」(『広辞苑』)。
 明治維新の後、国を指導した元勲たちのことではなく、志半ばで倒れた〈草莽〉9人の評伝。村上は、明治維新を文化・文政(1800年代初め)から始まると考える。登場するのは、大塩平八郎、橋本左内、藤田三代(幽谷、東湖、小四郎)、真木和泉守、三人の詩人(佐久良東雄、伴林光平、雲井竜雄)。教科書に出てくる名もあれば、初めて目にする名もある。吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛(村上は「最大最高の維新者」と言う)は研究書が多いこともあり、本書では取り上げていない。収めきれなかった人たちもいる。

……維新者は、本質的に、涙もろい詩人なのである。維新者は、また本質的には浪人であり廟堂に出仕して改革の青写真を引くよりは、人間が人間に成るというとき、そのような設計図は役にたたぬことを知っているのである。維新者は、若々しい情熱を政治にそそぐこと、人後に落なかった。が、とど時務・情勢論の非人間性を知る者でもあった。だから、岩倉具視や大久保利通のようにはあり得なかった。友を失い、恋人を捨てて、やむなく政治に身を挺することはあっても、そのむなしさを知っているのである。彼は、時にニイチェのごとく哄笑する。が、その時も、こころは涙にぬれているのである。》

〈維新者〉の一基準として、村上は大塩平八郎の乱(1837年、天保8年)についての評価を挙げる。大塩は大阪奉行所与力を辞任して学者生活だった。大飢饉なのに、大阪奉行は将軍代替わり式典費用のため米を江戸に回す。豪商は米の値をつり上げる。大塩は困窮する庶民救済を訴え、幕政の腐敗を糾弾し、乱を起こす。

《たしかに、大塩の乱ははかない行動であった。そして、その思想は尊幕の範囲を出なかった。しかし、命を賭けてする行動というものは、かならず何かを残す。大塩の哀れな行動が、藤田東湖や吉田松陰に何を残したかは、それこそ、すこぶる見るものありであった。》

 大塩の乱で町民・農民たちは焼け出されたにもかかわらず、彼らによって大塩の思い=「社会正義の怨念」が語り伝えられた。

《ところが、大塩をほとんど評価しなかった明治維新の成功者たちはどうであろう。彼らが、大塩の乱の結果のはかなさを笑ったのは、彼らが時務情勢しか解しなかった者であることを、いみじくも示している。彼らのほとんどが、大塩、東湖、松陰のもっていた社会正義の念を置き忘れてしまったのである。(後略)》

(平野)「非命」「こころは涙にぬれている」、尊いことだろう。でも、やっぱり生きていてほしい。