■ 桂米朝 『落語と私』 文春文庫 1986年
初版は1975年ポプラ社。本書、古書うみねこ堂書林で購入、値段は鉛筆書き。最近は古本屋さんオリジナルのスリップが多い。
米朝師匠、お若い。芸を磨き、噺を発掘し、後進を育て、そのうえ〈落語〉という芸能を評論できる人。本書は中高生向けに書いたそうだが、内容は濃い。
〈話芸としての落語〉〈作品しての落語〉〈寄席のながれ〉〈落語史上の人びと〉
落語の成り立ち、古典芸能のなかで他のジャンルとの違い、話芸としての特徴、噺の中味、歴代落語家のこと、などなど。
落語が、庶民の娯楽として山あり谷ありの時代を経て、現在は黄金期と言ってもいいかもしれないほどの人気を得ている。今、40数年前の本を読んで、落語の面白さを再認識する。
《落語は、古典芸能のはしくれに入れてもらいましても、権威のある芸術性ゆたかな数々の伝統芸能と肩をならべるのは本当はいけないのだと思います。「わたしどもはそんな御大層なものではございません。ごくつまらないものなんです」という……。ちょっとキザな気どりに思われるかもしれませんが、本来そういう芸なのです。》
米朝の師匠米団治の言葉。
《芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで》
反骨、洒落。世間の常識におもねらない。廓噺や艶噺、酒飲みの噺、与太郎噺、嘘つきや不良の噺が堂々とできる。
(平野)
先日、東西の人気落語家が近所のホールに来演。昼・夜二部制で、出演者が一人入れ替わる。私は昼席に。隣のご婦人二人連れが、お目当ての人気者が昼席に出ないと怒っている。どうもご招待できたらしい。良いメンバーです。楽しんでいただきたい。本音は「黙って聞けい!」ですが。