■ 涸沢純平 『遅れ時計の詩人 編集工房ノア著者追悼記』
編集工房ノア 2000円+税
著者は大阪の出版社〈編集工房ノア、1975年創業〉社主。文芸書、詩の本を中心に出版している。本書は、涸沢が物故文人たちに贈った追悼の文章を集める。ただ文も年表も2006年まで。
《……本書は、還暦の時、まとめたのですが、出版の決心がつかず、校正刷りのままほこりをかぶっていました。》
書名の「遅れ時計の詩人」は清水正一(本書カバーの詩、1913~1985年)。市場で蒲鉾を作りながら詩を書いていた。ノアから、1979年に『清水正一詩集』(79年)、死後『続清水正一詩集』(85年)を出版。涸沢はたびたび清水を訪ねて、最終電車まで長居をしてしまう。清水は話し好きで時間が経つ。そのうえこの家の時計は常に遅れている。その時計をなおすことなく清水夫婦は暮らしている。
《この大幅遅れの時計が清水さんの詩であったのかも知れないと、今は思う。蒲鉾屋の時間を、詩人の時間にする時計であったのかも知れない。それと話し相手がついつい長居をする時計。》
清水の一周忌に合わせ「偲ぶ会」が開かれた。後日涸沢が奥さんに写真を届けた。
《「お父さんがいたら、(会の後で)皆さんにここへ来てもらいましたのに……」/と奥さんは言われた。/奥さんはまだ、遅れ時計のまま暮らしているのだった。》
《さまざまな著者に出会った。たくさんの人が亡くなられた。/まず最初に出会ったのは港野喜代子。港野の人脈をたより、詩集『凍り絵』をだした。が半月後に突然死した。私はこの人のことを母とも思った。/十三の蒲鉾屋の詩人・清水正一のことは、父以上に父と思った。/桑島玄二、東秀三は、年の離れた、兄という思いであった。(後略)》
「やさしいおおきな伯父さん」足立巻一。「豪放磊落を装いながら、細かい気づかい」の富士正晴。「君といると気楽でいいわ」と言った庄野英二……。
涸沢がゆかりの人たちを語ることは、そのまま〈編集工房ノア〉の記録である。
(平野)同社のPR誌『海鳴り 29』(2017年)では、一昨年亡くなった詩人・伊勢田史郎を追悼。