■ 佐々木幹郎 『中原中也 沈黙の音楽』 岩波新書 900円+税
著者は詩人、『新編中原中也全集』(全5巻・別巻1、2000~2004年、角川書店)責任編集委員。
中也の最初の詩集は『山羊の歌』。死の直前、小林秀雄に託した第二詩集は『在りし日の歌』。「朝の歌」「言葉なき歌」という詩があるし、「歌」が多く登場する。音楽集団〈スルヤ〉の活動に参加したこともある。佐々木は、中也の自筆原稿、日記などから、推敲の様子、影響を受けた詩や哲学についての論考を読み解き、詩の創作過程を明らかにする。
《生きていた中原中也をこの手でつかむように目の前に浮かび上がらせたい》
中也の詩「雪が降つてゐる……」が1929年のノート(第一次形態)にあり、未発表のまま37年に加筆訂正(最終形)されている(詩集には入っていない)。
「雪が降つてゐる、(改行、2字下げ)とほくを。」を繰り返し、後半「それから」を繰り返す。本書158~159ページ。
《……一人称以外の別の「声」が響き、詩の行が進むにしたがって、「とほくを」と「それから」が二重唱になり、三重唱になり、「声」が多重になるような効果を生み出している。最後に「喇叭」の音が響いてきても、それは一時的な響きで、無音のまま降る雪の、その沈黙の深さに吸い込まれるように、すべての音はかき消されてしまうような構造になっている。/最終形の二字下げの「とほくを」「それから」そして最後の「なほも」は、「雪」が降り積むさまであると同時に、「雪」そのものの「声」と言ってもいいだろう。同じ「声」が重なることによって、圧倒的に「雪」の無音(沈黙)が浮かび上がる。》
最終形完成の前年、中也は愛息文也を病で亡くしている。日記帳に毛筆で、「戯歌/降る雪は/(1字下げ)いつまで降るか」と書き、大きく「✖」を書いた。あとのページは破られている。佐々木は中也の「明瞭な意図」と言う。
《「雪」は中原中也にとって比喩でもなんでもなかった。「雪」が宿命のように、あるいは不幸をも授ける恩寵のように中也のもとに降りてくるのは、詩のなかだけではなく、その詩を書く彼自身の生活にも及んだということ。》
詩集『在りし日の歌』の題名案は37年春までは「去年の雪」だった。他にも「過ぎゆける時」「消えゆきし時」「消えゆく跫音」なども考えられた。
その後の中也。
8月から9月にかけて『在りし日の歌』清書。
9月15日中也訳『ランボオ詩集』(野田書房)刊行。
16日関西日仏学館からフランス語教科書届く。
23日『在りし日の歌』「後記」執筆、15年の詩生活を「長いといへば長い、短いといへば短いその年月の間に、私の感じたこと考へたことは尠くない。一寸思つてみるだけでもゾツとするほどだ」と書いた。
26日、『在りし日の歌』清書原稿を、友であり恋仇である小林秀雄に手渡す。
佐々木はふたりの「沈黙の光景」を想像する。
《愛憎に満ちた長い友情の底にある「言葉なき歌」を思う。》
(平野)今年は中也生誕110年、没後80年。《中原中也記念館》はこちら。
http://www.chuyakan.jp/