2018年11月17日土曜日

幼年画


 原民喜 『[新版] 幼年画』 瀬戸内人 
1800円+税 2016年刊
解説 田中美穂(蟲文庫店主)

 原民喜の初期連作作品に戦後の一作品を加える。幼少期の記憶を丹念に綴る。情景だけでなく、細かい心の内まで覚えている。

雄二(原)は裕福な家庭であたたかく育てられた。気の弱い想像力豊かな少年。庭の木、夜店ののぞきからくり、祭の競馬、父との小旅行、姉の嫁入り、潮干狩り、学校のこと……、親戚の赤ちゃんと弟の死も。

 杏の実が熟れるとお稲荷さんのお祭りが近づく。雄二は昔、家の杏が花を咲かせていたことを思い出す。小学校に上がる前年、泣いてねだった色鉛筆でひとりお絵かき。桜の枝が電信柱になって、雀の卵が杏の実くらい大きくなる、線がはね出して火事になる、舟を描くとそれも火事、消防隊、雨、弾丸……、母に見せる。

〈奇妙な顔をして、母は絵を眺めているので、説明しなきゃわからないらしい。これが舟で、杏で、桜の枝で、地雷火で、杏の実が熟れているところで、雨が降って、そして舟が衝突したから、大戦争になったのだよ。母は頤で頷きながら眼で不審がっている。〉

雄二は絵を持って庭に出る。想像はさらに広がる。杏の樹が蜂に川崎(伯父の家)の杏は熟れたかと尋ねたが、蜂は知らないと答える。杏が笑うと、実が落ちて谷の底にはまる。雄二は谷に橋を架けようと思いつき、納屋に入って木を探す。積み上がった木の上の壁の穴から外を覗くと隣の庭が見えた。金色の毛をした動物が横切った。貂だと思った。向いの酒屋に行き、おばあさんに絵を見せる。貂を見たと言うと、おばあさんは絵の中に黄色い塊を、これが貂でしょうと指差した。それは大砲の弾丸だったが、雄二の頭でも貂になって、おばあさんに絵の説明をする。家に戻ると、次兄が絵を見て勝手に説明して笑う。

杏が花を咲かせていた頃、長兄に連れられて川崎の家に行ったことがある。途中にお稲荷さんがある。兄に教えてもらわなければ見落としたかもしれない。川崎の杏は家の杏より大きく、花を咲かせていた。帰途、黄色の蝶がずっとふたりの前を飛んでいた。
 
〈川崎の庭の杏、もう熟れただろう、と、雄二の家の杏が蝶に尋ねた。ああ、熟れてるよ、と蝶は気軽に返事して風に乗って去った。雄二の家の杏は満足そうに両腕を揺すって、じゃあ今日はお稲荷さんの祭だな、と呟いた。〉
 
 原自身、優しい父母兄姉たち(次兄はちょっと意地悪)に囲まれたが、12歳から13歳にかけて、父がガンで亡くなり、姉も病死する。作品執筆の頃は、最愛の妻が支え、母が亡くなり、妻結核発病、という時期。記憶も現実も美しくて切ない。
(平野)