■ 高見順 『いやな感じ』 共和国 2700円+税
高見順(1907~1965年)最後の長篇小説、『文學界』(60~63年)連載。
大杉栄の仇討ちを誓うアナキスト・加柴はテロリストとして死に場所を求めながら、同志・砂馬(すなま)、丸万とリャク(企業恐喝)。商売女に惚れてしまって足抜けを企てたら性病をうつされる。民権運動から中国革命に協力した支那浪人・慷堂(こうどう)に青年将校・北槻を紹介され意気投合。朝鮮でのテロ計画がばれて、宿の女・波子に助けられる。東京に戻って、衝動的か仕組まれたのか、無関係の人間を殺してしまう。ブタ箱仲間のアビルに助けられて、波子と北海道に逃げる。砂馬と丸万は満洲のアヘンで稼ぐ。二・二六事件で北槻は死刑、慷堂も連座。加柴も中国に渡る。
アジア主義者、支那浪人、右翼、皇道派、統制派、アナキストにボル派、テキ屋、死の商人、慰安婦、従軍記者、兵士、中国の民衆……。書かれているのは大日本帝国の侵略の歴史だ。その裏側には名もなき者たちがいた。性を売らざるを得ない女たち(彼女たちにもランクがある)、労働者たちの汗と工場の熱、無残に流れる血と体液、人殺しを強要される兵士、その兵隊に踏みにじられ虐げられる中国民衆たちの生活力。テキ屋や犯罪者の隠語と共に裏の歴史も語られる。
加柴は右翼の親玉を殺す。砂馬も殺そうとするが果たせず。日本に残した幼い娘事故死の知らせがあり、丸万は警察に捕まり自殺、アビルも射殺された。加柴は中国捕虜処刑現場に立ち入り、日本兵の軍刀を手に取り、捕虜の首を斬る。近しい者の死に逆上したのか、大杉栄が言った「われらの反逆は生の拡充なのだ」の実現か、哀れなテロリストの成れの果てか、ただの狂気か。
一太刀目は頸骨で止まった。「いやな感じ」が手に伝わる。もう一度軍刀を振りあげた。
〈……このとき、奇怪な恍惚感を伴った戦慄が俺の肉体を貫いた。俺は射精をしていた。/(いやな感じ!)〉
栗原康は解説で、加柴は反権力で一貫している、と書く。権力・国家がつくったものなどどうでもいい、と思っている。アナキズムにニヒリズムをもちこんで、「ニヒリズムをこじらせている」。人殺しを肯定する。現代でも「ニヒリズムをハンパにこじらせているやつらがめっちゃおおい」。どこかの国の権力者たち、それを喜んで支えている人間がいる。
高見は自らの青年時代と戦後晩年の時代を物語にこめたのだろうが、現代にも通じている。多くの人が「いやな感じ」をもっている。でもね、人殺しはいけない。
(平野)
本書を買ったとき、レジによく知る書店員さんがいた。冗談か本音か、「いやな感じ!」と言われた。7.15海の日、神戸海洋博物館。「青山大介×谷川夏樹 海へ届ける絵画展」。21日まで。
7.16 元町映画館、「ニューヨーク公共図書館」。座席満員で私は敷布貸してもらって通路すわり、最後部で立ち見の人もいた。顔見知りの方々数名。平日昼間とはいえ、鑑賞者は95%女性。