2021年2月7日日曜日

七人の旋毛曲り

  2.5 坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛(つむじ)曲り』(マガジンハウス、2001年)ようやく読み終わる。夏目漱石、宮武外骨、南方熊楠、幸田露伴、正岡子規、尾崎紅葉、斎藤緑雨。文学史、文化史に名を残す7人、慶応31867)年生まれ。

大正51916)年、漱石死去直後、外骨は自らの雑誌「スコブル」に「七赤金星男は旋毛曲りと胃病」と題して記事。漱石、自分と同年生まれの男たち、紅葉、子規、露伴、緑雨の名をあげて、いずれも旋毛曲り、胃を患う、と紹介。

別の明治文学研究家は、露伴、紅葉、漱石、子規、緑雨他、同年生まれの文学者が多くいることに着目して、明治初期近代国家胎動の時代を重ね合わせる。彼らは明治の年号がそのまま満年齢。坪内はこの5人の作家に外骨と熊楠を加え、7人の青春時代――明治271894)年までを描く。

彼らは「世の中が直線的(原文傍点)に整備されて行く現実に違和感」を唱える。彼らの人生はつながり重なり交錯し離れすれ違う。この時点で、紅葉と露伴は既に売れっ子作家、緑雨も新聞小説連載開始、子規は新聞記者、外骨は憲法批判記事の刑期を終え新雑誌創刊、熊楠はロンドンで大英博物館通い、漱石は英語教師。まもなく日清戦争。

個性豊かな人物たちの評伝、ひとりずつでもたいへんだし、かかわる人びとや作品にまで言及することは膨大な作業。だが、坪内は楽しんで書いている。「もっとも旋毛の曲りぐあいが激しい」外骨と熊楠のことは特に嬉々として


 

2.6 図書館で西東三鬼調べ。Web「リファレンス協同データベース」で、1993年「神戸新聞」に、戦中三鬼が住んだトーア・アパートメント・ホテルの記事が掲載されているのを知り、閲覧、コピー。ホテルの支配人(三鬼の本では住人に「パパさん」と慕われている)の子息が語っている。昭和初めに富豪が邸宅をホテルに改装した。


 

2.7 「朝日新聞」の歌壇・俳壇欄のコラム「うたをよむ」、紅葉の弟子・泉鏡花の俳句作品を紹介。先の「旋毛曲り」の子規は俳人。紅葉、露伴、漱石、緑雨も俳句と縁が深い。

(平野)