■ 橋口幸子 『いちべついらい 田村和子さんのこと』 夏葉社 1700円+税
田村和子は詩人・田村隆一の4番目の妻(1969年結婚)。隆一は生涯に5度結婚している。
橋口は校正者、1980年編集者の紹介で鎌倉の田村和子宅に夫婦で間借りした。和子は当時隆一と別居中。
和子の父は著名な彫刻家で、和子が生まれた翌年に妻子を残してフランスに渡り、帰国したのは和子が27歳の時。和子が隆一と出会ったのは33歳頃(最初の夫と離婚後)で、隆一には3番目の妻(詩人)がいた。
和子と隆一の結婚後、隆一に新しい女性ができ、和子は隆一の親友で詩人仲間の北村太郎に相談をしているうちに恋愛関係になる。北村には妻子がおり、二人は駆け落ちする。
鎌倉の家に北村が越してくるが、すぐに隆一もここに戻ってくることになり、北村は近所のアパートに移る。
《わたしは田村さんを迎えるために、和子さんとふたりで軽自動車に乗って、鎌倉駅の江ノ電側にかけつけた。
田村さんは着の身着のままで帰ってきていたので寒いといった。わたしは家に着くなり、黒の手編みのベストを持っていった。何を着てもよく似合う田村さんだったから、そのベストも最初から田村さんのものであったかのようだった。(中略)和子さんと田村さん、そして北村さんがどんな関係にあったのか、わたしは一方的に和子さんからしか聞いていない。
「田村に若い女性のファンができたの。ぼくには天使がいるんだ、というようになってね。間もなく家にまでつれてきて泊めるようになったの。わたしは嫉妬深い女じゃないけど、そこまでは許せなかった。毎晩、田村と喧嘩するようになって、包丁を床に突き刺したこともあった。ほらね」
和子さんはそういって、床の傷痕を指差した。
私たちが越してくる四、五年前のことだ。》
このあたりのドロドロ模様は、ねじめ正一が小説『荒地の恋』(文春文庫)に書いている。われら小市民には無縁(恋多き人生、火宅の人もおられるでしょうが)、別世界の話。
橋口は和子と長い付き合いになるが、後年和子の病気や新しい恋や様々なトラブルで橋口自身が鬱状態になり、医者から和子との交際を止められる。
和子が亡くなって2年、橋口はようやく彼女のことを書くことができた。北村のことは2011年に『珈琲とエクレアと詩人』(港の人)に書いている。
書名は、隆一が鎌倉の家に帰って来た時に話した言葉からで、唐突に海軍の話をして、
《田村さんは少し震える手で丁寧に、「一別以来」と書いた。
「海軍ではね、集まりがあるとこういうんだ。かっこいいだろう、一別以来。ううーん、いいねえ。意味わかるかい。久しぶりっていう意味なのよ」》
隆一と北村は横須賀第二海兵団に徴集されている。
(平野)