2015年6月25日木曜日

ぼくらの民主主義なんだぜ


  高橋源一郎 『ぼくらの民主主義なんだぜ』 朝日新書 780円+税

《質問にろくな答へをしない人早く質問しろよとやじる》(熊谷市 内野修)

「朝日新聞」朝刊(2015622日)の「歌壇」に入選した歌だ。
「ろくな答へ」をせず「やじる」その人は、自分は民主主義を実践している、と思っている。

 高橋は小説家、20114月から「朝日新聞」の「論壇時評」を担当、政治・社会問題を論じる文章を読み、整理して、伝えている。雑誌論文だけではなく、本やネット掲載の文章も取り上げる。
 第1回は東日本大震災から1ヵ月半後、「ことばもまた『復興』されなければならない」と題して、原発の放射能から「疎開」する母親たちのことから書き始める。母親たちは団体で行動しているのではない。

《――情報を鵜呑みにすることなく、自分の「身の丈」に従って取捨選択し、行動している》。

3.11」を「敗戦」にたとえる人がいる。「敗戦」なら「復興」をめざせばいいのだが、高橋は、自分たちは「戦中」にいるのではないか、「戦争」をしているのではないかと感じる。「論壇」では、「復興」の困難さ、「原発」収拾の道のり、「原発推進」と「反原発」などが議論されるが、未来は見えない。「震災後」を説明してくれることばが「論壇」にない。
 高橋は「論壇」以外のことばとして、城南信用金庫理事長の「脱原発宣言」をあげる。「安心できる地域社会」、「理想があり哲学がある企業」、それに「国策は歪められたものだった」というメッセージに注目する。
 高橋は政治的問題を考えようとしてこなかったと自戒する。

《そんな問題こそ、わたしたち自身が責任を持って関与するしかない、という発言を一企業が、その「身の丈」を超えずに、してみせること。そこに、わたしたちは「新しい公共性」への道を見たいと思った。》

 冒頭の政治家には政治家の「民主主義」がある。わたしたちはわたしたちのことばで「民主主義」を作らなければならない。

《壊滅した町並みだけではなく、人びとを繋ぐ「ことば」もまた「復興」されなければならないのである。》

 高橋は東日本大震災後の日本が、「かつて一度も体験したことのない未知の混乱に入りこんでいったように見えた」。毎回「手探りするように」書いた。

《大きな声、大きな音が、この社会に響いていた。だからこそ、可能な限り耳を澄まし、小さな声や音を聞きとろうと努めた。もう若々しくはなくなったのかもしれないけれど、できるだけ、自分の感受性を開き、微細な電波をキャッチしようと思った。》

政治家や「エライ人」に「民主主義」を丸投げしていてはいけない。
「ぼくらの民主主義なんだぜ~!」

(平野)
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