2016年5月26日木曜日

三ノ宮炎上


神戸空襲を記録する会編集の『神戸空襲体験記 総集編』(のじぎく文庫 19753月初版)は市民の体験記をまとめる。野坂昭如の講演(7265日の神戸大空襲記念講演)、地図や資料の他、神戸空襲を書いた小説作品が4篇紹介(抄出)されている。
 井上靖『三ノ宮炎上』、一色次郎『海の聖童女』、武田繁太郎『炎上の街』、久坂葉子『灰色の記憶』。図書館や手持ちで3篇は全文を読めたが、武田未読。
 空襲の場面が描かれ、空襲と戦争が重要な意味を持つが、作品の主題は主人公の自我や家族への愛。

「神戸空襲」は何度もあったが、316日と65日は被害が大きく、「大空襲」と言う。
 
■ 井上靖『三ノ宮炎上』
 1951年発表。集英社文庫版(1978年、品切)、『井上靖小説全集 4』(新潮社、74年、絶版)、『コレクション 戦争と文学 15』(集英社、2012年、3600円+税)で読める。
 主人公はオミツ、女学校卒業前年の夏(昭和18)から不良仲間入り。ねぐらは三宮の中華料理店2階。不良たちは「人のいい連中」、強請・恐喝をやる者もいたが、大きな悪事はしていない。非常時でも不良はカッポしていた。

《戦争中で国全体が上から下までいやにちゃっかり組み立てられてあって、あんまり大きな事はできなかったようである。》

 オミツは他所の不良や「癇にさわる女」にケンカをふっかっけ、喫茶店に入りびたり、時々ブタ箱。
 オミツの亡父は軍医だった。その恩給で不自由なく暮らしていた。長兄は学生時代に左翼運動で検挙され獄中死。次兄は陸士卒、極右思想を疎まれ中国に派遣されて戦死。オミツは母を置いて家出。

《二人の兄を相次いで喪ったわたしの悲しみは深かった。わたしはほんとうに、二人の大好きな兄たちの遺骨の納められた家内には安らかに眠れなかったのである。わたしが二人の兄たちから共通して教わったものは、今考えれば反逆だけであったようである。二人の兄たちが自らの死をもってわたしに教えてくれたものは反抗であったのである。》

 戦時ながらオミツを「惹き付けて放さない何か」が三ノ宮には残っていた。

……舗道も店舗も通行人も、風も空気もみんな妙にきらきらして、快い眩暈の波がわたしたちを四六時中襲っていた。絶えず音楽が聞こえ、絶えず光の細片がちかちかと、あたりに舞っていた。眩しいほどの明るさ。(後略)》

 オミツは自由に遊ぶ一方、小説を読みあさる。仲間が実家の古本屋から持ち出してくる岩波文庫、女学校で禁じられていた恋愛小説、それに世界文学全集など。
 316日明け方空襲。「三時間ぶっつづけの焼夷弾の雨」。オミツは憧れていた男性の病死を知らされ、眠れなかった。

《空襲と呶鳴る声でわたしははっとして目を開けた。窓を開けると、戸外はもう真赤で、そのときはじめて気付いたのだが、ざあざあと砂を撒くような音が間断なくわたしたちの周囲に聞こえていた。(中略、仲間と避難。S百貨店地下から三ノ宮駅)
……わたしたちは三ノ宮駅の広場へ行ってそこへ腰を下ろした。焼けていないとなると、三ノ宮から離れる気持にはなれなかったのである。三ノ宮の阪急の駅の附近から加納町へかけて全然焼けていないことを知ったときは嬉しかった。》

 中華料理店が強制疎開になって、オミツたちは春日野道に移る。65日の空襲、B29の機械音と焼夷弾の落下音。高台から三ノ宮方面を眺めた。

《三ノ宮はおおかた燃え尽きてしまったらしく、燃え残っている建物を焼く火が、何カ所からも暗い煙を吐き出しながら、時折り赤い炎の舌をめらめらと天に向かって閃かしていた。
「いよいよ最後やな」
 と、オシナは言った。何がいよいよ最後か、わたしにはよく判らなかったが、その意味不文明な言葉に、妙な実感があった。わたしの胸を衝いた。》

 戦争が終わり仲間と別れた。

《とにかく、三ノ宮炎上とともに、みんな玉のごとくいずくかに飛び散って再び帰って来ない。(中略)わたしたちが好んで身を寄せ集めた、あのどこかひんやりしている、あちこちのビルの蔭も、わたしたちが日に何十遍出たり入ったりして倦きなかった三ノ宮独特の喫茶店も、もう再び現われ出て来ようとは思われなかった。もはや、そこは三ノ宮ではなかった。全く別の人種が住む新しい都会ができ上がろうとしていたのである。》

 オミツは仲間のその後の不幸を聞いて泣いた。母は亡くなった。家族のため仲間のための涙であり、自分のための涙。

《今でもわたしは三ノ宮を焼いた炎の舌の美しさを時々憶い出す。あんな美しく焼けるものの中には、やはり暗い時代に、美しいと呼ぶことを許されていい何かが詰まっていたのではなかったか。》

(平野)