2016年8月27日土曜日

戦争まで


  加藤陽子 『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』 朝日出版社 1700円+税

加藤教授は、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2009年、同社)で、なぜ日本人が日清戦争から太平洋戦争まで「戦争」の道を選んできたのか、その時々の世界情勢、国際関係、当事国の状態はどうだったのか、戦争の前後でそれらはどう変化したのか、を明らかにした。本書では、日中戦争から太平洋戦争までの国際交渉を詳細に見ていく。
 教授は「選択」ということばを投げかける。

《幸か不幸か、現代社会は我々に、選ぶのがきわめて難しい問題を日々投げかけ、起こらないと思われていたことも起こるようになってきました。》

イギリスのEU離脱国民投票結果はその例。また、日本の国政選挙では、60歳以上の票数は20歳代の6倍。さらに1819歳が選挙権を得た。若者と高齢者それぞれが重視する政策を実現するのは難しい。憲法改正について、有権者の賛成派は33%だが、当選議員の賛成派は84%。教授は「国家と国民の関係の軸が、過去にない規模で大きく揺れ動いているのではないか」と言う。

《……国や個人が選択を求められる場合に重要なのは、問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されているのか、という点です。》

世界が日本に、「どちらを選ぶのか」と真剣に問いかけてきた交渉事が3度あった。
 1931(昭和6)年9月の満州事変に対し、国際連盟調査団のリットン報告書をめぐる交渉。
 409月、日独伊三国軍事同盟条約締結過程でのドイツとの交渉、イギリス・アメリカの動向。
 4112月日米開戦までの日米交渉。
 リットン報告書。国際連盟はイギリス人ヴィクター・ブルワー=リットン(インドのベンガル州知事経験者)を団長に、米英独仏伊の植民地行政経験者、国際紛争調停経験者、外交官からなる調査団を日本と中国に派遣。調査・聴き取りをし、報告書を作成した。リットンは中国・日本・ソ連の利益を考え、現存の国際条約との合致や日中関係の将来、満州の自治など10カ条の解決策を提案。日本の自衛行動・満州住民の自治政権という主張を明確に批判したが、「侵略」とは書かなかった。

《リットンは満州国の実態が「欺瞞」であること、現地の人々が民族自決でつくりあげた国家ではなく、日本の傀儡だとわかっていました。しかし、日本に向かって、おまえは侵略者だろうと指を差してしまったら、日本はいっそう反発して話し合いができなくなる。ですから、報告書の中では、日中が交渉のテーブルにつくための条件を書き、「世界の道」を準備したと、日本に呼びかけているのです。》

 日本側は日露戦争以来の犠牲と満州の権益を主張。リットンは、戦争を繰り返さないために国際連盟を創設したと説き、国際協調を呼びかけた。日本は「世界の道」に戻ることで、確実な経済的利益と安全保障を得ることができる、と。
 日本の選択は、満州の権益を確実に確保するか、リットンの提案を受け入れて当面の平和を確保するか。満州を手放せばソ連が心配。政府と軍の考えは、「リットン報告書や連盟の方針に従えば、満州国は確実に解体される。日本軍の駐屯も許されない。それでよいかどうか」。それが国民に提示される。選択は設問のつくられ方で誘導される。日本は「確実」な満州権益を選んだ。

《……国際連盟から脱退しようかという大事ですから、悩んでいいはずです。でも、「確実に、満州国は取り消される」という選択肢が書かれたら、誰もリットン報告書の内容を読みもしなければ、その含意されたものについて真剣に考えようともしない。こういう、偽の確実性を前面に出した選択肢で国論をリードしたら、みんな、リットンなんて拒否!となってしまう。》

 この10年後、今度はアメリカが日本に「世界の道」を呼びかけるのだが……。

(平野)