■ 桐野夏生 『デンジャラス』 中央公論新社 1600円+税
谷崎潤一郎と女たちの「家族王国」。
〈つまいもうと娘花嫁われを囲む潺湲亭のまどゐ哉〉
(「潺湲亭」せんかんてい、京都の谷崎邸の名)
本書冒頭にある、昭和26年に谷崎が詠んだ歌。
男はこの王国から遠ざけられるし、女性でも谷崎の気持ちが離れれば排除される。谷崎は彼女たちから刺激を受けて作品を作り上げた。新しく参入するのは妻の連れ子(妹の養子になる)の嫁。
〈妻とその妹、妻の娘。私たち三人は一団となって、絶対権力者の兄さんを支えていました。/そこに、新しい二人が加わりました。現代的な風を吹き込んでくれる若い嫁と可愛い赤ん坊。そして、谷崎家の家事を担い、兄さんに使える女中たち。/昭和二十年代後半に、兄さんを頂点とする理想的な家族王国がようやく成立したのです。その家族王国は、兄さんの創作を支える、妖しい想念の宝庫でもありました。〉
本書の語り手は妻の妹・重子、『細雪』三女「雪子」のモデル。結婚後も北海道に赴任した夫と離れて谷崎家に同居していた。戦争末期、夫が彼女を迎えに来た。重子は谷崎に一緒にいさせてくれと懇願する。
〈「重ちゃん、ずっと一緒にいてください。死ぬ時も一緒です。僕はあなたが好きです。あなたのためには、全てを擲つ覚悟があります」/兄さんはそのまま書斎の方に向かって歩いて行ってしまわれました。その背中を見送っていた私は思わず目を背けたのです。これ以上、眺めていてはいけない。そう自戒したのです。私はしばらく門の前に立ち竦んでいました。〉
谷崎のことばは、戯れか、真実か、小説の「雪子」としてなのか、重子は動揺する。姉の松子の華やかさ・明るさ・優しさにはかなわない。
〈でも、そんな私にも、兄さんの「告白」は、ある楔を打ち込みました。私も女として認められたのかもしれない、という誇らしい楔です。松子姉には敵わないから、谷崎潤一郎夫人には相応しくない。だけど、女としてそう悪くないのかもしれないという楔が。〉
戦後、重子は夫の病死、嫁との確執などからアルコール依存になり、谷崎に諫められ再婚を勧められる。女の弱さ愚かさをすべて見抜かれている。
〈私は完全に、兄さんの支配下におかれていたのです。〉
重子は経済的にも精神的にも文豪とその妻・姉に依存している。一方、作品のモデルという自負、告白された自信がある。心の底まで見透かされているという恐怖もある。谷崎の気持ちは嫁に大きく傾いて、かなりの金銭援助もしている。姉と自分を守らねばならない。重子は死の迫っている谷崎を攻撃する。
(平野)女好きの変態じいさん? 私は女性崇拝者だと思う。