■ 金子文子 『何が私をこうさせたか 獄中手記』 岩波文庫 1200円+税
女性社会活動家の獄中手記。1931年春秋社刊(金子ふみ子)、98年新版同社刊。本書のカバーは春秋社初版本の扉カット。
関東大震災直後、多くの社会主義者が拘束された。大杉栄一家が憲兵隊に虐殺されたのはよく知られる。
金子文子と朴烈は皇太子暗殺計画容疑で逮捕された。爆弾入手計画は立てたが、入手できていない。転向を拒否。1926年3月、裁判で死刑確定。文子は天皇の名による恩赦・減刑を拒絶し、同年7月獄中で首をくくった。23歳だった。
文子は判事に勧められ、生い立ちを書いた。事件に関わる行動や思想には触れていない。無戸籍、貧困、虐待、さまざまな差別、不実な男たち、無力な女たち……、文子は苦難の中で勉学を志し、自らの思想をつむいだ。9歳のとき父方の祖母に朝鮮に連れて行かれ、7年暮らした。女中代わりに使われ虐げられた。この一家は朝鮮人民衆から収奪し、彼らを差別する典型的植民地人だった。13歳で鉄道自殺を試みるが、寸前で思いとどまった。
〈私は何だか気味がわるかった。足がわなわなと、微かに慄えた。突然、頭の上でじいじいと油蝉が鳴き出した。/私は今一度あたりを見まわした。なんとうつくしい自然であろう。私は今一度耳をすました。何という平和な静かさだろう。(中略)/祖母や叔母の無情や冷酷から脱れられる。けれど、けれど、世にはまだ愛すべきものが無数にある。うつくしいものが無数にある。(後略)〉
17歳で東京に出て、働きながら学校に通い、キリスト教、社会主義思想に触れた。朝鮮人活動家・朴烈に出会い、共に行動する決意を述べる。手記はここで終わる。
〈……これだけ書けば私の目的は足りる。/何が私をこうさせたか。私自身何もこれについては語らないであろう。私はただ、私の半生の歴史をここにひろげればよかったのだ。心ある読者は、この記録によって充分これを知ってくれるであろう。私はそれを信じる。/まもなく私は、この世から私の存在をかき消されるであろう。しかし一切の現象は現象としては滅しても永遠の実在の中に存続するものと私は思っている。/私は今平静な冷やかな心でこの粗雑な記録の筆を擱く。私の愛するすべてのものの上に祝福あれ!〉
(平野)