2018年7月21日土曜日

頼介伝


 松原隆一郎 『頼介伝』 苦楽堂 2000円+税

 
 

 松原は1956年神戸市東灘区生まれ、社会経済学者。本書は祖父・頼介(らいすけ、1897~1988年)の評伝。頼介の製鉄所は松原大学在学中に破綻した。
 2008年、松原の父が亡くなる。頼介と神戸の町に向き合うことになる。3つの謎めいた出来事が現れた。
1)父の死亡届を出す。謄本に知らない町名「兵庫区東出町」が記されていた。
2)実家を整理して進水式らしい写真発見。祖母の姿はわかるが、他の人物たちは誰なのか、場所はどこなのか不明。
3)実家を売却したお金で仏壇と本を納める書庫を建てる。お金の出所を説明するために頼介の経歴をまとめる必要。どのように財産を作ったのか。

頼介から直接聞いた話は少ない。フィリピンで働いたこと、満鉄相手に商売して大儲けしたこと、豪邸のこと、国の命令で工場を手放したこと、船持ちだったが軍に徴用されたことなど。松原は物心ついた頃には製鉄所の跡取りだった。
 未知の町「東出町」に出かけ、聞き取りをし、歴史を調べ、昭和の時代に造船で活気のあった町と知る。
 船の写真。Googleで頼介の名前を検索すると、企業家ではなく船の所有者として出ていることに驚く。神戸「戦没した船と海の資料館」を訪ね、「船名録」など資料を調べ、船のデータから撮影場所と人物たちを探る。
 外務省外交史料館で海外渡航者名簿に頼介の名を見つける。何度も通って航路を特定する。頼介はフィリピンでどんな仕事をしたのか、なぜ帰国することになったのか。親戚から提供された写真を手がかりにし、フィリピン移民の成功を書いた作家から情報を得、推測する。
 1918(大正7)年に頼介は帰国したようだ。なぜゆかりのない神戸だったのか、当時の神戸はどんな町だったのかを考える。港の繁栄、造船所はじめ製造が発展、歓楽街新開地の賑わい、人口が流入した。この年8月米騒動が起き、21(大正10)年には三菱・川崎大争議。
 神戸で頼介は船具商を興す。防水帆布を開発して満鉄に販売して財を成す。魚崎(谷崎潤一郎倚松庵の近く)に豪邸を建てる。38(昭和13)年阪神大水害被災。日中戦争で経済統制を受け、事業整理。海運業に乗り出すため造船。しかし、船は軍に徴用され、全て沈没。戦後、鉄鋼業界に進出。工場を次々建設、川崎製鉄が出資する会社に成長。ところが、1973(昭和48)年のオイルショックから鉄鋼価格乱高下、75年には73年の半額になる。76年会社は川崎の傘下に入る。
 松原は東京大学理科一類在学中、工学部冶金科に進む予定だった。山崎豊子『華麗なる一族』の万俵家に共通点を見る。万俵鉄平(東大冶金科卒、阪神特殊鋼専務、倒産して猟銃自殺、テレビドラマでは木村拓哉が演じた)に自分の姿を重ねてしまう。「鉄平は二〇年早く生まれた俺だ!」と。会社を継ぐ「運命」から解放された。
 松原の経済思想。
〈私は近年、過去に生じた事象の統計的な反復である「リスク」と、過去に事例がなく想像するしかない「不確実性」とを区別し、後者が我々の住む資本主義社会を動かしていると考えるようになった。不確実性に挑むには社会に対する深い理解と瞬時の判断が必要であり、暗記力で得られるような学歴だけでは対応できない。〉
 頼介は国策や社会情勢に翻弄されながらも次々に事業を起こした。成功と失敗を繰り返した。
……その人生は起業の繰り返しであり、不確実性に挑み続けるものであった。〉
 松原は文献や論文・公文書を調べ読み込む。資料を分析整理して、推理し、仮説を立て、証拠をあげ、論理を尽くす。頭脳だけではなく身体も使う。根気よく各地の役所や博物館、写真撮影現場に足を運ぶ。親戚や頼介の部下を訪ねる。人の縁がつながる。研究仲間からのヒント、作家との情報交換、地方図書館館長の調査報告。苦楽堂社主が社史を手がけたエンジン製造会社からも記録が出てくる。
 本書の主役は企業家だが、彼の足跡・事業をたどることで日本と神戸の近現代史も描き出してくれる。徴用船と戦争、鉄と経済。それに「長男以外と移動が作った街」神戸、さらに敬語表現分布も興味深い。

(平野)
出版記念のトークイベントあり。詳細は上記苦楽堂サイトを。
《ほんまにWEB》「海文堂のお道具箱」更新。