■ 柏倉康夫
『今宵はなんという夢見る夜 金子光晴と森三千代』 左右社 4200円+税
著者はジャーナリスト、フランス文学者、放送大学名誉教授。
金子光晴・森三千代夫婦は二人の遍歴を率直に作品にしている。1928年12月、夫婦は幼い子どもを親に預け、わずかの金を持って旅に出る。中国、東南アジア、ヨーロッパ、足かけ4年の放浪。金子が絵を描いて異国に住む日本人に売る。少し稼いでは次の旅を続ける。29年10月、シンガポールからマルセイユ行き二人分に金は足りず、三千代が一人先に旅立つ。金を作れるか、永遠の別れになるのではないか、追いかけて来てくれるのか……。その場面をそれぞれ作品に書いている。
〈船底のまるい窓から覗いている彼女が船がはなれてゆくにつれ小さくなってゆくのをながめていると、ついぞ出たことのない涙が、悲しみというような感情とは別に流れつたった。「馬鹿野郎の鼻曲がり」と彼女が叫びかけてきた。「なにをこん畜生。二度と会わねえぞ」/罵詈雑言のやりとりが、互いの声がきこえなくなるまでつづいた。彼女の出発について移った桜旅館にかえると、空中にいるような身がるさと湿地にねているような悪寒とを同時に味った。〉(金子『どくろ杯』)
〈「めっかちの、つんぼの、鼻まがり。おまえなんか、どっか消えて、失くなっちまえ」排水のさわがしい音に消されそうになるので、声を限りに、岩壁にしょんぼり立っている小谷にむかって叫んだ。小谷がマッチの軸ぐらいに小さくなって、やがて見わけられなくなるまで、ながめていた彼女は、女ひとりで相客のいない船室の藁蒲団のベッドの上に、突き上げてくる嗚咽といっしょに顔を伏せた。〉(森「去年の雪」)
そもそも二人が海外に出た理由は、貧乏生活に行き詰まったから。それに、三千代と恋人を引き離すため。金子の嫉妬と憎悪・憤怒の感情に、倒錯した興奮が入り混じる。
30年1月、二人はパリで合流するが、やがて離れ離れになり、帰りも別。帰国後、一家で軍国主義の時代を乗り越えた。
書名は三千代の詩「星座」から。
〈放浪生活を含めて、二人は「相棒」と呼ぶ以外にない関係を保った。自分たちの二人三脚ぶりを「相棒」と称したのは金子光晴である。(後略)〉
(平野)
装幀・絵は林哲夫。