2019年1月27日日曜日

原民喜全詩集


 『原民喜全詩集』 岩波文庫 500円+税 2015年刊


 19449月、原民喜の妻貞恵は肺結核に糖尿病を併発して亡くなる。民喜は文学仲間と酒を飲むことはあったが、無口、内気、他人とうまくコミュニケーションできない人だった。貞恵は明るい性格で、献身的に民喜を支えた。率直に考えを述べ、読書を愛し、民喜の文学を理解した。民喜は結婚後の幸福な時代を書いた作品がある。

最愛の妻を亡くした深い悲しみの詩。

〈 「庭」
 暗い雨のふきつのる、あれはてた庭であつた。わたしは妻が死んだのを知つておどろき泣いてゐた。泣きさけぶ声で目がさめると、妻はかたはらにねむつてゐた。
 ……その夢から十日あまりして、ほんとに妻は死んでしまつた。庭にふりつのるまつくらの雨がいまはもう夢ではないのだ。

 「部屋」
 小さな部屋から外へ出て行くと坂を下りたところに白い空がひろがつてゐる。あの空のむかふから私の肩をささへてゐるものがある。ぐつたりと私を疲れさせたり、不意に心をときめかすものが。
 私の小さな部屋にはマツチ箱ほどの机があり、その机にむかつてペンをもつてゐる。ペンをもつてゐる私をささへてゐるものは向に見える空だ。〉

 解説で若松英輔が民喜の文章を紹介している。

〈もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……

 民喜はそのように詩を書き続けていた。4586日、原爆を体験してしまった。このことも書き残さねばならなかった。
 51313日、民喜は詩集原稿を清書し、近親者・友人に当てた遺書19通を残し、国鉄中央線の線路に身を横たえた。
 年少の友・遠藤周作に宛てた遺書に詩「悲歌」があった。詩集の最後に置くことを託したそうだ。「一冊の詩集」は同年7月細川書店から刊行された。

「悲歌」は本書で読んでいただきたい。
(平野)