■ 『原民喜全詩集』 岩波文庫 500円+税 2015年刊
1944年9月、原民喜の妻貞恵は肺結核に糖尿病を併発して亡くなる。民喜は文学仲間と酒を飲むことはあったが、無口、内気、他人とうまくコミュニケーションできない人だった。貞恵は明るい性格で、献身的に民喜を支えた。率直に考えを述べ、読書を愛し、民喜の文学を理解した。民喜は結婚後の幸福な時代を書いた作品がある。
最愛の妻を亡くした深い悲しみの詩。
〈 「庭」
暗い雨のふきつのる、あれはてた庭であつた。わたしは妻が死んだのを知つておどろき泣いてゐた。泣きさけぶ声で目がさめると、妻はかたはらにねむつてゐた。……その夢から十日あまりして、ほんとに妻は死んでしまつた。庭にふりつのるまつくらの雨がいまはもう夢ではないのだ。
私の小さな部屋にはマツチ箱ほどの机があり、その机にむかつてペンをもつてゐる。ペンをもつてゐる私をささへてゐるものは向に見える空だ。〉
解説で若松英輔が民喜の文章を紹介している。
〈もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……〉
民喜はそのように詩を書き続けていた。45年8月6日、原爆を体験してしまった。このことも書き残さねばならなかった。
51年3月13日、民喜は詩集原稿を清書し、近親者・友人に当てた遺書19通を残し、国鉄中央線の線路に身を横たえた。年少の友・遠藤周作に宛てた遺書に詩「悲歌」があった。詩集の最後に置くことを託したそうだ。「一冊の詩集」は同年7月細川書店から刊行された。
「悲歌」は本書で読んでいただきたい。
(平野)