■ 中島京子 『夢見る帝国図書館』 文藝春秋 1850円+税
2018年、国立国会図書館は開館70周年を迎えた。源流は1872(明治5)年の湯島聖堂「書籍館(しょじゃくかん)」。東京書籍館、東京府書籍館、東京図書館となり、85(明治18)年上野に移る。97(明治30)年帝国図書館設立。1906(明治39)年新館が開館した。
「わたし」は小説家を目指すフリーライター。上野の国際子ども図書館取材の帰り、公園のベンチで白髪の「奇天烈な装い」をした女性・喜和子と知り合う。公園で再会して家に招かれる。上野の図書館のことを書いて、と頼まれる。喜和子は、自分で書こうと思ったが無理、図書館が主人公の小説みたいなイメージ、題も決めてある、と言う。喜和子は福沢諭吉の「ビブリオテーキ」から話し始める。
喜和子と会うたびに、過去が少しずつ語られる。間借りしている学生、元恋人の大学教授らが現れ、彼らも物語に関わってくる。喜和子は九州宮崎の生まれ育ち、東京に出て来たのは17~8年前だが、幼い頃に短期間家族と離れて上野界隈で元兵隊のおにいさん二人と暮らした。一人のおにいさんが本の話をしてくれ、図書館に連れて行ってくれ、図書館の物語を書こうとしていた、らしい。「ここは上野よ。いつだって、いろんな人を受け入れてきた場所よ」。
「わたし」は小説家デビューし、私生活も忙しく、喜和子と2年ほど疎遠になる。その間に喜和子は入院、施設に。つきあいが復活するが、ほどなく喜和子は亡くなる。上野の古本屋店主が喜和子の探していた本『としょかんのこじ』を国会図書館のサイトで見つけた。喜和子の『樋口一葉全集』が古紙回収業の友人に託され、そこから「わたし」宛の封筒が出てきた。古い喜和子宛て葉書になぞなぞの数字、自筆のルーズリーフには幼い日の上野のことが書き始められていた。おにいさんは「ゆめみるていこくとしょかん」という話を書いていた、とある。おにいさんは『としょかんのこじ』作者なのか? 数字の意味は?
喜和子の孫を含め関係者たちが謎多き彼女の人生、幻の図書館物語を解明していく。
近代日本の図書館は国威発揚・富国強兵(西南戦争以来の戦費や博覧会)の国策に翻弄された。喜和子は「金欠の歴史」と言う。それでも開館・維持に奮闘した人たちがいた。火災、震災、空襲、占領を乗り越えてきた。ここに一葉、露伴、龍之介ら、若き日の文豪・学者たちが通いつめた。占領下の憲法草案作成にも一役買った。
「わたし」は史実を忠実に書き、喜和子が提案した図書館が一葉に恋する話、文豪たちのエピソードも織り交ぜて、本と人の物語を仕上げた。最終章は上野の図書館前で喜和子が兵隊のおにいさんと出会うところ。
おにいさんの「いつかとしょかんであおう」のことばが喜和子をずっと支えてきた。娘の大学進学を機に宮崎を出た。帯の「本がわれらを自由にする」どおり喜和子は自由を得た。
国会図書館入口には「真理がわれらを自由にする」のことばが掲げられている。国立国会図書館法の前文にあるそうだ。
(平野)雨の日、用事すませて古本屋さんに入った。勘定場の女性の視線を感じる。怪しい奴とマークされているのだと思った。決してそんな、と本をはっきり見せるように持った。棚を一周して女性と目が合って、呼びかけられた。先日イベントで会った古本愛好者の奥様だった。そういえば、古本屋さんで働いているとおっしゃっていた。あーはずかし!