2020年10月4日日曜日

われもまた天に

  10.3 午前中、臨時で仕事。

 午後、久しぶりの落語会、「桂米團治独演会」(兵庫県民会館)。コロナ対策で席は前後左右開けて座る。物品販売もなし。しばらくというか、今後何年もこの状態が普通になるのでしょう。演目は、「京の茶漬」「七段目」「算段の平兵衛」。

 三宮ブックス村田社長と電話。「毎日新聞」の〈元町・宇野千代記事〉を読んでくださっていた。話題はもっぱら訃報。いつも話が長くなるけど、うちの電話器はオンボロで、受話器の電池が15分くらいしか持たない。近々の訪問を約束。

 夜、息子は江戸に戻って行った。2週続けて賑やかだったが、またヂヂババ漫才の日常になる。

 10.4 娘・息子とも我が家に置いたままの不要品を処分。家を出てもう8年余りだけど、まだまだ荷物あり。ヂヂババはゴミ出し用意。

 本、

古井由吉 『われもまた天に』 新潮社 2000円+税



 今年2月逝去。最後の作品集、表題作他4篇。未完の「遺稿」も。

 生まれる前、人の心は天にあり、生まれた後、天は人の心の内に在る、という中国の教え。何度も読み返し、考え、迷っては元に引き返す。

書かれるのは、入院、手術、車椅子、夜の病室、退院、杖を頼りに散歩、通院、また入院、老いの日々。思い出すことは戦争、それに若き日の命の危機。ひとり登山で土砂崩れに遭い、山肌を横に這い逃れた。故人となった肉親のことを思う。あのとき自分が行方不明になっていたら、と。

〈あの子は前からふっと何処かへ行ってしまいそうなところがあった、息もせずに生まれて来た、戦災を免れた夏には年寄りみたいな子になっていた、病院で夜苦痛をこらえた末に妙に静かになった、とたどり返すうちに、とうに亡くなった縁者と、まだ生きていて寝床の中から物を思う私と、死者と生者とが入れ代わったかのようなのに驚いた。〉「われもまた天に」

 何度目かの入院、外は大型台風襲来。大きな被害を知る。住んではいけない危ない場所が言い伝えられても、いつか忘れられてしまった。古井の父祖の出身地は西美濃、古来大水に苦しんだ。江戸時代、治水工事の地元の民と普請を負わされた薩摩藩の武士が犠牲になった。そんなことを知ったのは成長してから。

〈自分が何処の何者であるかは、先祖たちに起こった災厄を我身内に負うことではないのか。〉「遺稿」

 

(平野)