2021年10月21日木曜日

定形外阿佐ヶ谷偽本

 10.19 妹孫は寝返りをうったそう。めでたい。姉が叫ぶと、妹も反応して叫ぶ。賑やか美人姉妹。ヂヂバカチャンリン。

 午前中、図書館で「若杉慧」調べ。午後、買い物。「BIG ISSUE」販売員さん見かけず、次の機会に。本屋さんで注文品受け取り。さあさあさあ積ん読 積ん読本も読まねば。

 10.20 冷えてきた。先週は暑いと言っていなかったか? 自分でわからない


 堀江敏幸 『定形外郵便』 新潮社 1800円+税



小説家、フランス文学者。芥川賞、三島賞などなど有名な文学賞を数々受賞。本書は「芸術新潮」連載のコラム。

芸術の話もフランス文学も、私の知能教養では追いつかない。この人の本を読んだことがないのに紹介して厚かましい、と思う。厚顔無恥とはこのこと。書名に惹かれて、としか言えない。わずかに作家のことや著名人の追悼文、古本の話なら、なんとかついて行けそう。島崎藤村の逸話、漱石と弟子たちのことなど。

「うごうごする言葉」。「うごうご」という副詞のこと。漢字だと「蠢々(春に虫二つ)」。うごめくさま、ぐずぐず・うじうじしたさま、二つの意味あり。

 堀江は時計がわりにテレビの子ども番組「ウゴウゴルーガ」をつけていた。

〈ウゴウゴくんの棒立ち感とルーガちゃんのせわしない才気を適度に分散させ、あいだに曖昧な寸劇を挟んでいく構成は、当時の私の微妙に萎えた気分と、一日の始まりの「うごうご」した、明確な行動を起こそうとしない負の意思に、とてもしっくりくるものだったのだ。〉

 後に「ゴウゴウガール」をひっくり返したもの、と知って困惑する。「go go」だった。 

 堀江が「うごうご」の用例として思い浮かべるのは、内田百閒の日記の文章。漱石死後、百閒が全集校閲のため書斎を入ったとき、師晩年の姿を思い出す。

「書斎へ這入つて見たら、薄暗い陰の中に外の樹の葉の色が染んでゐる其部屋の中で、きびらのくちゃくちゃになつた著物を著て、汚い包みの動く様に先生がうごうごしてゐた」「きびら」は黄帷子。

〈百閒は、すでに死の気配を漂わせている先生の姿を垣間見てしまったのだ。真の「うごうご」は、そうした不気味な明視でしかとらえることができない。夢に似た記憶を黄疸のように表象させる百閒の言葉の微動にこそ、「うごうご」はふさわしい。〉

 

 青柳いずみこ 『阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ 文士の町のいまむかし』

 平凡社 2400円+税 2020年刊 イラスト・岡崎武志



著者はピアニスト、文筆家。阿佐ヶ谷育ち、現在も暮らす。

祖父はフランス文学者・青柳瑞穂。井伏鱒二ら当地の作家たちと親交、大酒飲んで遊んで騒いだ。上林暁、外村繁、小田嶽夫、太宰治……、著名文学者・編集者たちの貧乏時代の微笑ましいエピソード。でもね、その裏には家族の苦労があった。

本書は過去と現代の阿佐ヶ谷事情を紹介。今も文化芸術に親しむ人たちが多く住む町。元気活気あるお店もたくさんある。文学関係者、ミュージシャンが酒飲み多数というのはよくわかる。意外なのはクラシックの人たち、よく飲むらしい。とはいえ、当然コロナの影響ありでしょう。

 書名は井伏が訳した漢詩「田家春望」から。小田嶽夫の同名随筆があるそう。

 本書読了後、者が「図書」に〈響きあう芸術 パリのサロンの物語〉連載中であることに気づいた。

 

 高木亮 『きりえや偽本(にせぼん)大全』 現代書館 2000円+税



 著者は1971年生まれ、きりえ画家。2008年から「偽本シリーズ」制作、大学図書館や書店で展覧会開催。

本書は名作文学パロディ。幻のブックカバーをきりえで作製。あらすじ、解説も付す。「罪と獏」「二兎物語」「長靴をかいだ猫」などほとんどは元本がすぐわかる。「アーム状」「最低2万はいる」「だいだ赤おに」「つかる」などはちょっと考えた。

採用を見合わせた作品もあり、その訳も公表。元本の紹介もしてある。

 

(平野)双葉社の『いしいひさいち選集』が各巻にパロディの題名をつけていた。「存在と無知」「椎茸たべた人々」「垢と風呂」「フラダンスの犬」など大笑いした。