2024年7月18日木曜日

随筆上方芸能ノート

7.13 夜中、夢の中で私が怒って飛び起きたとたん近くの家具に頭ぶつける。「いたあ~、なにすんの~?」。夢の原因は職場のゴタゴタ。関係会社の人に言い慣れない叱言を言ってしまった。反省。

 朝、コンビニで孫に送る大相撲名古屋場所番付をコピー。ヂヂ唯一のコンビニ用事、買い物はしない。

 図書館で新聞調べ。先日正しい掲載年を教えてもらって、連載記事見つかった。でもね、疑問解決にたどり着かない。

7.14 「朝日俳壇」より。

〈ゆるぎなき兜太語録や夏の山 (東京都文京区)片岡マサ〉

「朝日歌壇」より。

〈幼子のでっかい笑顔思い出すドクターイエローの絵本買いし日 (さいたま市)鈴木俊恵〉

7.15 みずのわ一徳編集作業着々進行の様子。暑い中、雨の中、農作業と集落の用事しながら、ご苦労様。

7.17 本に海文堂時代のレジ風景写真を掲載する。バイト君二人とヂヂが写っている。彼らに許可を得ないといけないが、連絡つくか?


 戸田学 『随筆 上方芸能ノート 落語・漫才・興行』 

青土社 2400円+税



 上方演芸を中心に著作活動。本書は新聞連載、雑誌寄稿などをまとめる。「上方芸能に関しての執筆は、考えもあってひとまず本書でキリとしたい」由。

 落語家、漫才師ら芸人さん、芸事のことに加え、興行・興行師のこと、作家のこと、研究者のこと、著者が幼い頃から見てきた映画・映画館のことも。

 表紙写真は、六代目笑福亭松鶴と桂米朝。50歳代だろうか、ええ顔。松鶴は五代目を父に持つサラブレッドで職人肌。米朝は落語研究を志したインテリ。育ちも芸風も違うが、上方落語を支える盟友だった。昭和61年(19869月、松鶴亡くなる直前のこと。

〈入院先の病院を見舞った桂米朝に対して、松鶴は「(あとは)頼むで」といった。訃報を聞いた米朝は「えらいことになった……えらいことになった……」と呟いていたという。/米朝はある時に筆者にポツンといった。/「今、わしが大阪落語の本流みたいにいわれるけども、ホンマは松鶴なんや」(後略)〉

 著者ならではの「芸」の話をもっと読みたい。

(平野)