2025年3月20日木曜日

日本賭博史

3.16 「朝日歌壇」より。

〈山積みの本と議論と一升瓶思い出す夜に飲む茶碗酒 (石川県)瀧上裕幸〉

〈戦禍にも書店増えゆくウクライナ心の支え求めるように (中津市)瀬口美子〉

 花壇のさくらんぼの花、雨で散った。拙著ビラ担いで、ギャラリー島田、J堂、1003、うみねこ堂書林、花森書林を回る。途中買い物。担当さん見当たらずしばらく店内うろついたり、忘れ物して取りに戻ったり、無駄な動きが多い。

3.17 老人力で自分が困るのは仕方ないけれど、人様に迷惑かけることがある。ごめんなさい。

3.18 機関誌から依頼されて海文堂の元同僚に原稿執筆を打診していた。断わりの連絡あり。経験上、大事なことは多忙な人に頼むのが良いと思っている。今回は残念。

 

 紀田順一郎 『日本賭博史』 ちくま学芸文庫 1100円+税



 近代史や出版・書誌に詳しい著述家。古書を題材にしたミステリーもある。初版は1966年桃源社刊『日本のギャンブル』、86年中公文庫。今回改題、改訂。

神事や娯楽が、賭け事の材料になる。古代から始まっている。双六、サイコロ、花札、富くじなど賭博の仕組み、ルールなど紹介。時代時代の賭博から見る日本文化史。

本書の話は1960年代までのことで、賭博の大衆化が進んだと言っても宝くじの当選金は一千万円(1966年)。現在は金額の桁が違う。宝くじも競馬もテレビコマーシャルで煽る、刺激する。バブルの時代には株の個人取引が広まった。ゲームの形態もコンピューターやらインターネット。大阪に巨大カジノができる。

かつては麻雀やゴルフも賭け事だったが、スポーツ・ゲームとして社交の手段となっている。ギャンブルとは意識されていない。しかし、紀田は「表面的な観察にすぎない」と言う。「もともと人間社会には不確定、ないしは不価値的な要因がつきものであるから、私たちは生活者として「賭ける」という意識から解放されることはない」。

……現在の社会が相対的に安定しているとしても、一方では学校や企業という局面を例にとってもきびしい競争に満ちており、人間の合理的な努力だけでは片づかない要素が多いことは否定できない。(中略)このような安定社会なりの不平不満を外に逸脱させるためのシステムとして、スポーツや各種の趣味があることはいうまでもなく、昔ほどウエイトが高くないにしてもギャンブルというものの存在理由があることになる。人はスポーツやギャンブルなどを通じて、危険な衝動としての投機心をたがいに確認し合って安堵するのであって、そこにつきあいというものの深層的な意味がある。(後略)〉

 スポーツや芸能人への熱狂も、懲りないネズミ講も「同じ文脈の中にある」。

〈ギャンブルの効用が他の分野に拡散しはじめたことは、これまでにない現象であって、賭博史は新しい局面をむかえたことになるのである。〉

 私は博打の才能ない。パチンコ勝ったことがない。複雑なルールは理解できない。集中力なし、持久力なし、度胸なし、根性なし。でもね、賭博の漫画を読んで、賭け事の高揚感はなんとなくわかる。落語の富くじやバクチ話を面白がっているのが分相応。

(平野)