悲しい辛いお知らせです。
12月26日夜、ギャラリー島田代表、元海文堂書店社長の島田誠さんが肺炎のため逝去されました。83歳。
https://gallery-shimada.com/cn6/2025-12-27.html
2003年、私は島田社長退任後の海文堂書店に中途入社しました。三宮ブックス勤務時代、村田社長を通じて、また雑誌や新聞記事などで島田さんの活躍を存じていましたが、直接話をする機会はありませんでした。時おり島田さんがお客として海文堂に来て話すようになったような次第。海文堂を大事に思い、誇りにされて、閉店時には何より従業員のことを気遣ってくださいました。海文堂OGが施設で療養すると足繁く見舞いに行き、身寄りのない彼女の最期を看取りました。
ギャラリーで何度も海文堂イベントを開いてくださいました。私は月に一度ギャラリーのDM発送作業を手伝い、親しくお茶の時間をご一緒しました。「みなと元町タウンニュース」の拙稿を楽しみにして、ついには出版実現に力を貸してくださいました。多大なご恩を頂戴いたしました。新参者がおこがましいことですが、謹んでご冥福をお祈りいたします。
老人力は誰でも身に付きます。島田さんも聴力が衰え、趣味のレコード鑑賞もままならず、嘆いておられました。それでも毎日ギャラリーに顔を出して画家さんやスタッフさんと歓談し、お孫さんと散歩する姿は微笑ましいものでした。金看板はいつもの場にいるだけで皆安心するのです。
芸術を愛し、本と本屋を愛し、人を大事にする人でした。「文化至上主義」とも言える頑固さも島田さんの美徳です。芸術家支援基金を立ち上げ、その活動を継続・拡大して現在に至ります。大企業や行政の非文化的な開発事業に異議を唱え、抗議の先頭に立ちました。商売仲間から商売下手・文化人と揶揄され、文化人からは商売人と卑下されたことを自らこう表現しています。
〈動物の仲間にも鳥の仲間にもいれてもらえない蝙蝠みたいなもの〉(『不愛想な蝙蝠』風来舎、1993年)
私は『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂、2015年)で以下のように書きました。
〈島田が海文堂書店の経営者であり続けていたとしたら、海文堂書店は存続できていたでしょうか。私は書店員を続けていられたでしょうか。答えは出ません。わかりません。/でも、文化至上主義の島田が経営者であり続けていたら、閉店の形は違ったものになったと断言できます。なぜなら、島田は人とのつながりを大事にする人だからです。〉
聖夜の祈り終えて蝙蝠昇天す
蝙蝠のバリトン響けウィンターソング
木枯らしがハンター坂を吹き下ろす
(平野)