■ 今野真二 『盗作の言語学 表現のオリジナリティーを考える』 集英社新書 720円+税
今野は1958年神奈川県生まれ、日本語学者、清泉女子大学教授。
本書は個々の作品について「盗作」を判定する本ではない。「盗作」を著作権法上の「創作性」ではなく、日本語学者の立場から「もっと単純に、『同じか違うか』ということ」を考える本。
《――本書は、「盗作」ということを入口にして、言語上の「同じ/違う」ということに関わることがらをひろく採りあげた。現在は「アイデンティティ」ということや「オリジナリティー」ということが重視されているように感じる。「盗作」を語ることばのなかにも「オリジナリティー」という表現がみられることが多い。言語を使うということは、「みんなが知っている」ということを前提にしている。「みんなが知っている」語で語る。そのことと「オリジナリティー」ということはどのように関わってくるのだろうか。副題にはそうした意味合いをこめてみた。》
序章 [参考文献をなぜ示さなければいけないのか]/[オリジナリティー]/[同じか違うか]/[類推(analogy)の力]/[オマージュ・パロディー]/[著作権法上の翻案]/[情報の並び順]/[本書の歩き方]
第一章 テキストを分析する第二章 詩的言語の表現――俳句・和歌の添削
第三章 寺山修司「チェホフ祭」
第四章 北原白秋の短歌と詩と
第五章 辞書の語釈――辞書にも盗作はあるのか?
おわりに
あとがき
第一章では、「盗作」疑惑のある作品と類似が指摘されたテキストを比較検証する。今野が着目する点は、「まったく同じ表現」、その「まったく同じ表現」の出現順、「特徴ある表現」。
第二章、第三章、第四章では、「詩的言語の表現」での「同じ」「違う」を考える。
第五章、単語の「語釈」はだいたい「同じ」になるのが当たり前ではないのか。それを「模倣」「類似」と言えるのか。
文学作品の「盗作」騒動だけではなく、インターネットの情報を「コピペ」、ツイッターの「パクリツイート」という新しい「類似」「模倣」が出現している。ネット上には匿名の「情報」が流れているし、自分も流している。
《匿名のままで「情報」や表現の「オリジナリティー」を主張はできない。「オリジナリティー」を主張している私には名前がない。そう考えると、「オリジナリティー」という概念があるのに、それが損なわれているのではなく、「オリジナリティー」という概念そのものがゼロになっていると考えるのがよいのかもしれない。現代を覆う「匿名性」は名前のある私を呑みこんでしまう。だからこそ、どんなかたちでもいいから、「私はここにいる」ということを認めてほしい。それは「情報」や表現の「オリジナリティー」を冀求(ききゅう)しているのではなく、「私という存在」を主張しているということであるかのかもしれない。》
最後に、有名な文学作品の一文、たとえば夏目漱石の『こゝろ』にある「『私は淋しい人間です』と先生が云つた」を、私たちが使ったとしたら、それは「盗作」なのかという問題を挙げる。
《これらの語句を使ったからといって「盗作」と指摘されることはない。そのように、これまでに数え切れないくらい使われてきた語句、表現を使うしかない。そう考えると、表現における「オリジナリティー」とはどういうことかと思わざるを得ない。「同じ(モノ)」と「違う(モノ)」とを認識するということは人間の認知行動の根底にあることかもしれない。「盗作」ということを起点にした本書がさまざまなことを考えるきっかけになってくれれば、と思う。》
(平野)