2015年8月13日木曜日

虹滅記


  足立巻一 『虹滅記(こうめつき)』 
朝日文庫 199411月刊 

巻末エッセイ 司馬遼太郎

 祖父と父のことを中心にルーツをたどる。同人誌「天秤」(1974年~76年)、「六甲」(79年~81年)連載。81年朝日新聞社より単行本。

足立の父・菰川(こせん)は新聞社・二六新報社で政治・経済を担当。1913(大正2)年、足立が生まれて3ヵ月後に亡くなった。母は再婚し、足立は祖父母に育てられた。祖父は「敬亭」の号を持つ漢学者、東京で塾を開いていた。祖父は長崎の富商の養子だが、家から離れ財産を食い潰した。祖母が亡くなると、祖父は足立を連れて放浪、長崎に戻ったところで急死。足立は親戚の寺で育ち、9歳の時、神戸にいた母方の伯父に引き取られた。
  戦前のうちに足立のもとに長崎の寺から稿本や日記類が送られていたし、祖父の門人が預かっていた蔵書も返されていた。父に『鎖国時代の長崎』という著作があり、父の死後、祖父がそれを清書し完成させたことも知ってはいた。足立が父の著書を手にしたのは、1965(昭和40)年、長崎県立図書館。祖父の手による凡例に、「起草より完尾まで五年十一月を費し、父子の心血を注ぎ稿を更(あらた)むること四回に及べり」とある。

《……この「凡例」を読み終わったとき、暗いランプの下で息子の遺稿をたんねんに毛筆で書きついでいる敬亭の顔が見えた。眉が濃く太く、目がギョロリとして鼻梁は高い。いつも白髪まじりのかたい無精ひげが頬にさかだっている。その顔に深い影をきざみこみ、目を充血させたようにして、関節のふとい指で、一字一字彫りきざむようにして書いたのであろう。
 わたしが『鎖国時代の長崎』の「凡例」で、とくに胸を打たれたのは「虹滅」という字句である。「著者俄かに虹滅し去る」――突き刺すように悲痛なことばだと思った。いろんな漢和辞典を引いてみても熟語として出ていないところをみると、「虹滅」は敬亭の造語のように思われる。
(中略、敬亭の漢詩は2500首)それがどんな詩であるかをわたしは知らないけれど、その大量の詩詞のなかで、この「虹滅」がもっとも切実で鋭利なことばであり、詩そのものであったのではないかと思われた。
 たしかに、敬亭にとって菰川は虹のように滅んだのである。》

 足立は、祖父の記録や縁者と自らの記憶を頼りに、長崎、福井県坂井市、山口県大津島と、先祖をたどり、血族の墓を訪ね歩く。祖父と父の評伝を軸に、一族の縁ある人びとをしのんでいる。

(平野)

  『海の本屋のはなし』あれこれ
  92日 灘区ワールドエンズ・ガーデン
「海の本屋のはなし」読書感想会 
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