■ 吉田篤弘 『神様のいる街』 夏葉社 1600円+税
なかよしの画家のツイートで出版を知った本。灘のワールドエンズ・ガーデンに予約して、受け取りに行く。家を出て神戸駅までの道、電車の中、降りてからお店までの道、わくわくしている。お店に入ってもすぐには受け取らない。棚を行ったり来たり何度も眺めて、別の本を手に取る。店主を焦らしているわけではなく、自分が喜び勇んでいる状態を他の人に悟られたくない。お客さんがいなくなったところで店主のもとに。支払いを済ませてもすぐ店を出ない。店主と世間話。駅のホームで本を開いて読み始める。早く家に帰って読むのが一番なのだけれど、買い物の用事があるので中断。
前置きが長い。著者はクラフト・エヴィング商會のユニット名でブックデザイン、出版をしているが、吉田名で小説も書く。本書は若き日のできごとと《街》を綴ったエッセイ集。吉田が書く《街》は、神保町と神戸。
吉田は二十歳のとき、ビートルズのレコード(従姉妹から譲り受けた宝物)を売ったお金で神戸に来た。到着したのは通勤・通学の時間帯、神戸は生活圏と仕事圏が近い。「生活と仕事が渾然一体となっていて」「生活をそのまま纏った人たち」が動き始めていた。普通の生活者ではなさそうなオジバ(オジサンかオバサンか不明)が外国タバコを二カートン買っていた。吉田は、タバコは誰の手に渡ってどこで煙になるのか、想像するだけで、「どこからか物語の声が聞こえてくるようだった」。
〈この街には無数の物語があった。小さな箱におさまった物語が街の至るところに並び――それはつまり小さな街に小さな店がひしめいている様そのものでもあったが、――本棚に並ぶ書物のように、ページをめくれば、そこにつきせぬ物語が隠されていた。〉
〈にしむら〉でコーヒーを飲んで、二匹の犬に「おはよう」の挨拶をして街歩きが始まる。でも、どうして神戸?
〈どうしても神戸に行きたかった。行かなくてはならない。(いま行かなくては駄目だ)と、どこからか声が聞こえてきた。〉
〈神戸にいると、僕は神様の声が聞こえるのだ。/(いいか、いまのうちに見ておけ)/神様は何度もそう云っていた。けしかけるような云い方だった。〉
吉田は美術の専門学校に入ったものの、学校には行かず、神保町通い。居場所=生き方を模索していた。食費を削って本を買い、蔵書を売って本を求めた。本を手に入れること、読むことで、本の素晴らしさを理解していった。「本をつくりたい」と思うようになった。
〈僕は「神戸」という街の名を口にするだけで、あるいは、その文字の並びを目にするだけで嬉しくなってしまうのだが、あるとき、神戸駅の構内を歩いていて、駅名表示の文字の並びに、「神」の一字があることに気づいて、(そうか)と立ちすくんだ。/この街で神様の声を耳にするのは、きっと自分だけの妄想ではない。〉
ちょっとした「偶然」を「運命」と受け取った。
吉田は、いわゆる神戸観光をしない。歩き、電車に乗り、視界に入る景色や人を見、話し声を聞き、コーヒーを飲み、食事をし、買い物をする。神戸の街の「海側」「山側」という呼び方に注目する。JR線路が海と山の境界線で、「西欧風でありながらアジア的で、海の街でありながら山の街でもある。懐かしいけれど、すこぶるモダンで、華やかだけれどシック」。ふたつの文章を同時に書き進めていた。長篇小説と詩のようなもの。「ふたつの方角へ同時に進んで行くには」を考える街として、「神戸はうってつけだった」。
神戸が「お洒落な街」と言われていることを、吉田は「本来、ひとつに収まらないものが、ぎりぎりのバランスで共存しているさま」と捉えた。「シュールレアリズムの思想」と。
〈神戸は自分にとってそのような街で、「どうして、これほど居心地がいいのか」と繰り返し自問していたが、「物語」と「詩」を選びきれない自分を、(それでいいよ)と無言で諭してくれる街なのだった。〉
「海側」「山側」に属さない高架下には本物の隣で偽物が売られている。「特筆すべきは、そうしたバッタもんが、どこかしらチャーミングに映ること」。吉田はたいていのものは神戸で買う。食べる物もおいしいと気に入った店に通い詰める。本も。
〈……古本は神保町で購めたが、新刊書店に並んでいる現役の本は神戸で買うことにしていた。具体的に云うと、東京でも買える本を、元町の〈海文堂書店〉で買っていた。それは、そうした決まりを自分に課していたのではなく、ひとえに〈海文堂書店〉が、どこか古本屋のような新刊書店だったからである。/本の並びの妙だった。二十四色の色鉛筆を、どんな順番で並べていくかという話である。(中略、古本屋の棚の「奇異」「妙」は暗号やパズルの楽しみで、誰かにはデタラメに見えても、別の誰かには脈絡が見える)/そうした絶妙さを小さな店構えの棚に見つけたのではなく、〈海文堂書店〉という、それなりの広さを持った二階建ての新刊書店の棚から感じとった。稀有なことだった。海にほど近い場所の力もあったかもしれない。海の近くの本屋で、刷り上がったばかりのあたらしい本や、見過ごしていた本を手に入れる喜び――。〉
〈ハックルベリー〉〈後藤書店〉〈元町ケーキ〉〈エビアン〉〈明治屋神戸中央亭〉など、「海側」で過ごす時間の独特な感覚を語っている。
パートナーBさんのこと、結婚式、曽祖父のルーツ(関西らしいが、京・阪・神か不明)、父がかつて神戸で療養、阪神淡路大震災後のことなどなど、この街にまつわる様々な話を書いてくださった。
(平野)吉田さんが神戸好きであることは以前の著書で存じていたが、1冊の本になるとは想像もしていなかった。吉田さん、ありがとう。島田社主、感謝申し上げます。
《ほんまにWEB》、「しろやぎ・くろやぎ」「海文堂のお道具箱」更新。