■ 大岡信 谷川俊太郎 『詩の誕生』 岩波文庫 600円+税
実作者として、ひとりひとりにどのように詩が生まれ、詩を受け取るか、を考える。
谷川は、詩作品を考えると同時に、「詩を感じる人間の瞬間の意識」も話題にしたいと提案。
〈……たとえば僕なら僕という一人の人間の幼児時代にさかのぼって、自分の人生のどの時点で詩を感じる感受性が生まれてきたかというところにも「詩の誕生」があるわけだし、いま詩人として詩を書いている自分のなかで一篇の詩が生まれるときも「詩の誕生」だろうし、また、一つの民族のなかに詩がどういう時期に自覚されたかとか、呪術師とか巫女がいつ詩人として自立したかとか、それぞれ「詩の誕生」にかかわりがあり、これは重層的なテーマだっていう感じがするね。〉
大岡は、「詩が死ぬ瞬間」もおもしろいと返す。
〈詩てのは現実にいつまでも存在しているものじゃなくて、どこかに向って消滅していくものだと思う。消滅していくところに詩の本質があり、死んでいく瞬間がすなわち詩じゃないかということがある。あるものが生まれてくることはわりあい自然であって、むしろそれが消えていく瞬間をどうとらえるかが、実はその次の新たな「詩の誕生」につながるんじゃないかな。〉
若い時に感動した詩が今読むとそうでもない、というのは「個人のなかでの死」。「社会のなかでの死」もある。詩が死ぬことで新しさが生まれ、過去に蓄積されたものに加わる、その総体が伝統。「伝統は毎日毎日変っているのだ」。
それぞれの「詩的原体験」を語る。谷川は小1か小2のある朝のこと。庭の木の向うから太陽が昇る瞬間。
〈そのとき、それまでまったく経験したことのない、一種の感情に僕は襲われた。それは悲しみとか喜びとか、不安とか怒りとかっていう心理的な感情とは、まったく違う感情だったわけだよね。(中略、毎日書いているわけではない日記に「今朝生まれてはじめて朝を美しいと思った」と書いた)それを書きとめたということが、詩と結びついているような気がする。(後略)〉
大岡は夜。幼少年期の記憶がくりかえし再生される。
〈……電柱が並んでいて、コウモリが飛んでいて、闇がスーッと迫ってくる。そうして、その道を、うしろ姿でむこうへ歩いていく一人の女の人がいる。それは僕にとっては憎まなくてはいけない人なんだけれど、憎むのと同じ程度に、惹きつけられているんだ。(後略)〉
本文中に「十五秒ほど沈黙」「三十秒近くの沈黙」などの記録が書かれている。この対話時点で20年近い交友があるにもかかわらず、真剣で緊迫した対話の場であったことがわかる。
本文中に「十五秒ほど沈黙」「三十秒近くの沈黙」などの記録が書かれている。この対話時点で20年近い交友があるにもかかわらず、真剣で緊迫した対話の場であったことがわかる。
1975年5月「エナジー対話」第1号初出。同年10月「読売選書」(読売新聞社)、2004年思潮社刊。
(平野)