2018年10月11日木曜日

好きになった人


 梯久美子 『好きになった人』 ちくま文庫 760円+税
 
 
 前回紹介『原民喜』著者のエッセイ集。『散るぞ悲しき――硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社)、『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社)他取材した人たちのこと、薫陶を受けた作家たちのこと、編集者から作家になるまでのこと、家族・子ども時代のことなど。

 梯は編集者を辞めライターになる時、担当していた作家にどんなものを書きたいのか訊かれた。自信を持って答えられなかった。作家は、筆を汚すな、金がないときは借金するか男を騙せ、と忠告した。まだ文章を書いて生きることのきびしさと怖さを知らなかった。

〈人を取材して書く、というのが私の仕事の基本ですが、それは対象を素材として扱うことであり、言ってしまえば「ネタ」にすることでもあります。この人を書きたい、と思う動機は、私の場合はいつも「好き」という気持ちですが、好きになった相手をネタにしてしまうことへのうしろめたさがつきまとうのも事実です。〉

 島尾ミホにインタビュー時、何度目かで彼女が「そのとき私はケモノになりました」と語り始めた。梯は「背骨を戦慄が駆けあがりました」と書くほどの衝撃を受けた。『狂うひと』はインタビューから刊行まで11年かかった。

(平野)
 著者の本の思い出話。両親共働きでひとりぼっち、本屋に入り浸った。中学生のとき、好きな棚ができた。新書館の詩集、エッセイ集、小説を揃えた棚。特に寺山修司の「あなたの詩集」シリーズを繰り返し読んだ。寺山が選んだ10代少女たちの詩。自分も書きたいと思った。中学生から高校生、少女の心は複雑・不安定。

〈そんな私にとって、あの棚は、自分が今いるこの世界ではない場所への回路のようなものだったと思う。地方在住の文学少女だった私は、ものを書くことが、自分が本当に知り合いたい未知の人々とつながる方法になり得ることを、あの棚の前で知ったのである。〉