2018年10月16日火曜日

海の本屋の話 補遺


 『海の本屋の話 海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂)補遺

 1925年から26年(大正1415)に海文堂書店が出版した『海事大辞書』(全3巻、住田正一編著)について本書で書いた。海文堂創業者・賀集喜一郎は海運業界出身である。セット価格25円、現在なら89万円相当の豪華本。残念ながら売れ行き不振で海文堂は倒産の危機に陥った。

編著者・住田について『海事大辞書』に「法學士」とあるだけで詳しく知らなかった。海商法・海運交通の権威だろうと思っていた。『みなと元町タウンニュース』(みなと元町タウン協議会)の連載コラムで鈴木商店と米騒動を調べていて、住田が当時鈴木社員だったこと、大番頭・金子直吉著書の口述筆記をしていたことがわかった。鈴木破綻後は金子のもとで債権整理に奔走した。

鈴木商店は1918(大正7)年8月の米騒動焼打ちで多大な損害を受けたが、翌年には三井物産を抜いて年商日本一になる。住田の入社は18年、鈴木激動の時代を金子と共に過ごした。住田は多忙の中、『海事大辞書』の編纂をしていた。
 
 住田は鈴木退社後、国際汽船取締役のかたわら海事史研究を続けている。青山学院では海運交通を講義した。講義のこぼれ話を海文堂から随筆集にして出版、1935(昭和10)年『考古漫筆』、37(昭和12)年『浮寳随想』、38(昭和13)年『桃園雜記』の3冊。どれも神戸市立中央図書館で読める。               『桃園雜記』に鈴木時代の話が収録されているので借りた。「桃園」は当時の住まい旧武蔵国桃園(東京都中野区)にちなむ。表紙の絵は明治の初めに文部省が発行した家庭教育用錦絵読本から。西洋偉人シリーズの1枚、「綿花織機発明ヘイルマン」、子どもの髪を編む指の動きにヒントを得た。表紙にした理由には触れられていない。最初の章「物の考へ方」で人類の頭脳の発達と事業への応用について書いているので、そこからか。「異人繪」の章もあるが。

 住田は47(昭和22)年から東京都副知事、54(昭和29)年から呉造船所社長を勤めた。海運・造船業界での貢献と海事資料出版・研究の功績により、「住田正一海事賞」(三部門、日本船舶海洋工学会)が創設されている。収集した文献は神戸大学附属図書館「住田文庫」に、趣味の古瓦コレクションは国分寺市の武蔵国国分寺跡資料館に、それぞれ保存されている。
 
 
 

 

 
 

(平野)以下は私の推測。『海事大辞書』はそもそも鈴木商店ありきだったのではないか。企画は鈴木隆盛時代だろう。住田は「序」で金子の名をあげて支援に感謝している。海文堂は販売でも鈴木関連会社での買い上げ・拡販を期待していただろう。ところが、刊行時には鈴木は窮地に陥っていた。22(大正11)年海軍軍縮、23(大正12)年関東大震災で打撃を受け、銀行業界からは融資を締めつけられる。鈴木内部では金子の力を抑える勢力が台頭していた。『海事大辞書』不振について時期的には説明がつく。確たる証拠なし。  
 海文堂在職時代、『海事大辞書』を倒産云々で、呪われた出版みたいに思っていた。実物は海文堂出版にナフタリン漬け保存され、中央図書館所蔵本は表紙が補修補強されてオリジナルの姿ではない2012年4月、ある団体から逆寄贈されて、数日間だけ海文堂書店で現物そのものに触れることができた。すぐに別のところに寄贈されて行った。あの時は鈴木商店や住田について深く考えなかった、考えられなかった。