■ 梯久美子 『原民喜 死と愛と孤独の肖像』 岩波新書
860円+税
原民喜は1905年広島市生まれ、作家・詩人。故郷に疎開中被爆。代表作『夏の花』。51年鉄道自殺。
原の「死」から始まる。
〈原は自分を、死者たちによって生かされている人間だと考えていた。そうした考えに至ったのは、原爆を体験したからだけではない。そこには持って生まれた敏感すぎる魂、幼い頃の家族の死、厄災の予感におののいた若い日々、そして妻との出会いと死別が深くかかわっている。/死の側から照らされたときに初めて、その人の生の輪郭がくっきりと浮かび上がることがある。原は確かにそんな人のうちのひとりだった。この伝記を彼の死から始めるのはそのためである。〉
原は生前「三田文学」編集に携わりながら、同誌や「近代文学」に作品を発表していた。出版した本は戦前の自費出版『焔』と49年の『夏の花』だけで、世間的には無名。幼少時から他人と接するのが苦手だったが、彼を保護する人、慕う人、才能を認める人たちが多くいた。葬儀委員長は佐藤春夫、弔辞は柴田錬三郎と埴谷雄高、会葬者に文壇著名人の名が並ぶ。
原は家族・友人宛に何通も遺書を書いている。年下の友・遠藤周作はフランス留学中だった。遺書を渡され、原の作品「永遠のみどり」に共通の友人と登場する。原は戦争と原爆の不安の中、次の世代の人々に希望を託した。遠藤も自覚していて、日記に「荒涼たる冬を経た彼からバトンを引き渡さるべき人間であったに違いないのである」と書いている。原は死ぬ前、「中国新聞」に小説と同名の詩を寄稿。
「ヒロシマのデルタに/若葉 うづまけ (中略)ヒロシマのデルタに/青葉 したたれ」と書送った。
〈原は自死したが、書くべきものを書き終えるまで、苦しさに耐えて生き続けた。繰り返しよみがえる惨禍の記憶にうちのめされそうになりながらも、虚無と絶望にあらがって、のちの世を生きる人々に希望を託そうとした。その果ての死であった。〉
(平野)
岩波新書創刊80年。記念冊子『図書 臨時増刊 はじめての新書』は本屋さんでもらえる。《ほんまにWEB》「奥のおじさん」更新、と言っても8月分ですが。