■ 『北斎 富嶽三十六景』 日野原健司編 岩波文庫
1000円+税
富士は信仰の対象だったし、何より美しい。古くから歌に詠まれ、描かれてきた。
北斎が「富嶽三十六景」を完成したのは70歳代、当時では高齢者。68歳頃中風を患った。
〈もし北斎が早くに命を落としていたら、「富嶽三十六景」は誕生しなかったことになるし、だとするならば、北斎の評価も現在のように高くなかったであろう。〉
それ以前にも富士を描こうという「明確な意識」を持ってデザインや新しい技法を取り入れている。本書表紙カバーの「神奈川沖浪裏」の基盤となった絵は油絵の表現を導入しているそう。
場所は富士山眺望の名所がある一方、意外な場所がある。実際にそこからこのように見えないという絵があり、遠近感が変な絵もあり、北斎の想像。「凱風快晴」や「山下白雨」のように堂々と聳える富士があり、「下目黒」「登戸浦」のような遠くの小さな三角の富士がある。ど真ん中に富士があり、また、職人の作業姿や人の暮らしや旅人やまちの賑わいや色々な舟や自然の姿(四季の移り変わり、波、風など)のその向こうに富士がある。北斎は描くことを楽しんでいて、見る者を驚かそうとしている。
「三十六景」なのに46枚とはこれ如何に? 売れ行き好調であとから10枚追加された。
日野原は北斎最晩年の肉筆画「富士越竜図」の昇天する竜に北斎を重ねる。竜に比べて富士はどっしりと雄大な姿をしている。
〈「天我をして五年のいのちを保たしめば、真正の画工となるえを得べし」(飯島虚心『葛飾北斎伝』)と言い終わって事切れたと伝えられる北斎にとって、富士山は亡くなる直前まで向かい合った重要な画題であり、また、生涯を通じて越えようとした偉大なる存在だったのである。〉
(平野)巨大波に呑まれそうな舟や人はどうなったのだろう。それを想像することも北斎の仕掛けか。