11.9 図書館調べ物。明治大正期の神戸風景を絵に残している人たちがいる。
ひとりは「武文彦」(1884~1972)。川崎造船所勤務時代、松方幸次郎の絵画コレクションをサポートした人物。松方がコレクション開始以前のこと、武の絵画研究を知り、仕事に専念せよ、と苦言を呈したそうだ。実業界引退後、幼少時からの思い出をたどり、姫路・神戸の風物を水彩スケッチにした。私家版『桃源 自序画傳』(1963年)を遺している。
武はスポーツマンで、学生時代(県立神戸商業学校)はボートや野球で活躍した。棚田真輔「神戸野球物語」より(『月刊Blue Anchor』6・9・10・11号所収、海文堂書店、1982年。WEB「海の本屋アーカイブ」の
「Blue Anchor 冊子版」でご覧いただける)。
http://uminohonya.com/
武文彦が小学生時代の記憶から描いた元町商店街の誓文払い風景(『こうべ元町100年』元町地域PR委員会、1971年の表紙)。
もうひとりは「板愈良(いたまさよし、本名・裕生、ゆうせい、1889~1956年)」、鳥取県西伯郡出身、小学校教員。版画や紙モノコレクションを通じて、神戸の「川西たけを」主宰の趣味雑誌『シブキ』の印刷・製本・装幀・絵・筆(謄写版刷)を担当した。独自の版画技法を編み出した。郷里に記念館がある。
「川西たけを」は本名・健一、生年没年不詳。昭和初めに元町の貿易商社に勤務していた。版画家・川西英(ひで、1894~1965年)の親戚だが、どのような血縁か不明。英に版画を依頼して年賀状に使っていたり、『シブキ』に英の版画集販売の広告を出している。年齢の近い、親しい間柄であったと思われる。日中戦争時に上海で死亡したらしい。
3人の関係については、南陀楼綾繁「悲しきコレクター 板祐生と川西健一・川西英」(『ハードスタッフ 第12号』先鋭疾風社、2008年)が詳しい。
板愈良の謄写版画「神戸ステンショー及ヒ相生橋之景」(『シブキ 神戸新名所の巻』 川西健一編輯・発行、1927年)。当時の神戸駅と駅東の跨線橋。
11.12 職場の研修会終了して、小林さん福岡さんとワイワイ一杯。
均一棚で買った詩人エッセイ集、読んだことある、と思ったら、やっぱり。そんなことはしょっちゅう。わっはっはー、で再読。11.21(木)~12.9(月) 花森書林
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