2019年11月26日火曜日

大きな字で書くこと


11.24 明日本会忘年会案内送信。ヂヂイ年代は返信早い。皆さん待っていてくれたのね。私の案内よりも先に知っていた人もいる。ヂヂイ情報網、恐るべし!

11.26 午前中は図書館、栄町通のこと。明治初めの神戸都市計画・土木工事に関わった人物がいて、なかなかの曲者で面白い。

午後、元町駅から鯉川筋を登る。穏やかな坂道が次第に角度を増す。山手幹線を越えると道は狭くなり、坂はさらに急になる。
石川達三が取材した「蒼氓」たちは、雨に濡れ、ぬかるみに足を取られながら、荷物を担ぎ、子を背負い、坂の上の「国立海外移民収容所」を目指した。東に少し行くと、「トアホテル」跡地。「蒼氓」たちとは別世界の華麗なホテルだった。
現在、収容所は「神戸市立海外移住と文化の交流センター」、資料館・博物館として整備保存され、市民交流の場となっている。ホテルは「神戸外国倶楽部」。
異人館観光の人たちを追い抜き、ハンター坂を下って、ギャラリー島田の「石井一男展・須飼秀和展」。

 加藤典洋 『大きな字で書くこと』 岩波書店 1800円+税



 今年5月亡くなった文芸評論家。憲法9条、日米関係など政治社会問題で発言してきた。右からも左からも批判された。

言論の世界で大きなテーマ・難しいことを小さな活字で書いてきた。小学生の頃は鉛筆で大きな字で書いていたのに。

〈私は何年も文芸評論を書いてきた。そうでないばあいも、だいたいは、書いたのは、メンドーなことがら、こみいった問題をめぐるものが多い。そのほうがよいと思って書いてきたのではない。だんだん、鍋の料理が煮詰まってくるように、意味が濃くなってきたのである。/それが、字が小さいことと、関係があった気がする。/簡単に一つのことだけ書く文章とはどういうものだったか。それを私は思い出そうとしている。/私は誰か。何が、その問いの答えなのか。/大きな字で書いてみると、何が書けるのか。〉

 子ども時代のこと、友のこと、父親との確執など、出会った人たちとの思い出とともに語る自分史。

 岩波『図書』連載分と『信濃新聞』コラムをまとめる。
 しんどいことでも、言わなければならないことがある。批判を受ける。世間が評価するのは何年もあとのこと。それでも引き受けてきた。
(平野)