2019年11月28日木曜日

本はどうのように変わっていくのか


11.27 昼休み公園読書も寒くて億劫、日差し出たので出かけてみたら、桜葉紅葉落ち葉になって、池のカモはゆうゆう泳ぎ、魚咥えて飲み込んだ。 

 津野海太郎 『本はどのように変わっていくのか』 SURE 2400円+税


 編集者・評論家の津野を案内役に、今後「わたしたちの暮らしのなかで、『本』が、どんなものになっていくかを」考える。参加者は、出版業、取次業、書店員、編集者2名、テキスタイル作家(読者の立場)。司会は作家・黒川創。
〈五千年を経て、なお未成熟な「本」について語ろう〉
〈読書という行動〉
〈本で暮らす話〉
 
「電子の本」の出現した時、出版人も読書人も「紙の本」の永続性に不安を持った。同時に「読書する習慣」がなくなるかも知れないとも。
 津野は、「本」の長い歴史と本の世界で半世紀生きてきた経験から、「紙の本」はなくならない、と断言する。「電子の本」もこのまま続いていく、紙と電子は当分のあいだ複雑なしかたで共存していく、その先は不明。
 読書習慣についても、「本を読む人はいなくならないだろうし、いなくなりようがない」と。
 かつて「本」と「教養」は密接につながっていた。難しい本を読んで教養を積み上げていく。でもね、そんな「教養主義的読書」は崩れた。津野は「勉強」という言葉に行き当たり、編集者として付き合った植草甚一を例にあげる。『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』(晶文社、1972年。現在ちくま文庫)。興味あることに自発的に取り組む。そんな若い書き手を紹介している。

(平野)
 私は「勉強」というと学校の「勉強」が思い浮かんで、抵抗がある。もっと軽く考えていい。
 周りの人や子どもたちが困った時悩んでいる時、私は気の利いた言葉を言ってあげられないだろう。「教養」がない。一緒に考えて、「勉強」するしかない。