4.25 「朝日俳壇」より。
〈古書街の昭和の匂ひ荷風の忌 (川越市)益子さとし〉
同じく「朝日新聞」の「星の林に ピーター・J・マクミランの詩歌翻遊」(日本の詩歌英訳と解説)で取り上げられたのは、寺山修司の詩の一節。
〈なみだは/にんげんの作る一ばん小さな海です〉
寺山は俳句から離れるとき、ある詩を引用した。ドイツの詩人エルゼ・ラスカー=シューラーの詩「一つの歌」(富士川英郎訳)。
〈新しき血/私の眼のうしろに海がある/それをみんな私は泣いてしまわなければならない〉
4.26 三宮ブックス事務所閉鎖の日。私もみんな泣いてしまわねば。
写真は村田耕平さんにいただいた『大阪圖書出版業組合記念史』(同残務事務所編集兼発行、1943(昭和18)年)のコピー。国家総動員体制のもと、1940(昭和15)年内務省から出版業者団体解消の内示あり。翌年大阪組合は日本出版文化協会に合流。本書は、組合の沿革、活動記録、解散後の残務処理を記す。
3枚目は解散時の役員一同。現在に続く出版社では、創元社・矢部良策の姿あり(後列右から二人目)。以前村田さんに解説してもらったところ、義父(文開堂、後列右端)と海文堂の番頭だった清水さんの父(瞭文館、後列左から三人目)もいる。
■ 吉田太郎 『神戸人形賛歌 よみがえるお化けたち』 日本玩具博物館協力
神戸新聞総合出版センター 2000円+税
神戸で生まれたからくり仕掛けの小さな人形。スイカを食べたり、お酒を飲んだり、楽器を鳴らしたり。創始者は、野口百鬼堂、中村某、銀行員誰それなど不明。時期も幕末、明治中頃などと諸説ある。布引の滝の茶店で売られたことから「布引人形」と呼ばれたり、「おばけ人形」とも言われた。大正天皇が皇太子時代に購入してから「神戸人形」の名が定着したようだ。外国人観光客に人気があった。戦後作り手が亡くなり廃絶。郷土史家、愛好家や販売店が継承してくれる職人を探し復活させた。しかし、阪神淡路大震災後、次第に制作・販売が危機に陥る。
著者は1969年元町生まれ、育ち。小学生時代に商店街の玩具店・キヨシマ屋で制作の様子を見ていた。現在人形劇工房・ウズモリ屋を営む。2015年から神戸人形を蘇らせるべく、制作・販売を開始。
下記サイトで制作過程も見ることができる。
https://www.kobotaro.com/kobedoll/index.php
人形に限らず文化は、平和な時代、平穏な気持ちであるからこそ楽しめる、守り続けることができる。
(平野)