2022年11月22日火曜日

日本のゴルフ史

11.17 花森書林に本を引き取りに来てもらう。長く親しんだスポーツマンガや買って袋に入ったままの美術展図録など。

 11.13「朝日歌壇・俳壇」紹介忘れ。

〈最後から『蝉声(せんせい)』読みてすこしずつこの世の息を深く吸いゆく (宮崎市)木許裕夫〉 『蝉声』は歌人・河野裕子の遺歌集。

〈亡き父が「よんでごらん」と買いくれし『アンネの日記』いま孫が読む (町田市)山田道子〉

〈ながき夜の海馬に図書館司書がいて閉架よりよりそっと貸し出される夢 (日進市)木村里香〉

〈人の死へ銀河鉄道下りて来し (横浜市)飯島幹也〉

11.1819 「朝日新聞 折々のことば 鷲田清一」は福音館書店の松居直のことば。

〈子どもが「本を呼んで!」というのは「一緒にいて!」ということです。〉  

〈「赤ちゃんの幸せ」はみんなの願いですが、赤ちゃんの幸せは「お母さんの幸せ」にかかっているのです。〉

11.20 「朝日歌壇」より。

〈ハロウィンが近づいたからま女図かんかりに二階のママ図書館へ (奈良市)山添聡介〉

 図書館、元町原稿「西村旅館」三代目貫一調べ。1921年西村夫婦はゴルフを始める。旅館は番頭任せ、ゴルフ三昧。やるからには日本一を目指す覚悟。25年にそれぞれ所属クラブの大会で優勝を果たす。夫人は以後5連覇達成。貫一はプレイだけではなく、ゴルフ史研究も。さらに普及・民衆化を唱え、ベビーゴルフ推奨。31年著書『日本のゴルフ史』、『趣味のベビーゴルフ』(共に文友社)出版。同年旅館の住居部分を壊してベビーゴルフ場を開設。

 写真は『日本のゴルフ史』(普通版、神戸市立中央図書館蔵)の表紙。限定版、特装版も発行された由。絵は洋画家・小山敬三、六甲山上のゴルフ場風景。「神戸新聞」の随想「六甲を描く(四)」(小山画、貫一文、同年825日掲載)に同じ絵がある。ゴルファープレイ中。

 



『ひょうご歌ごよみ』(宮崎修二朗、兵庫県書籍協同組合、1984年)に六甲のゴルフ場が出てくる。

土屋文明〈無産主義に吾はあらねど草山はゴルフリンクに遮断されたり〉

1930年夏、土屋は神戸で歌友の追悼会に参列し、その際六甲に登った。散策の道はゴルフ場に遮られる。

〈草山にゴルフを遊ぶ男女富人がともは楽しかるべし〉

自分は無産主義ではないけれど世の中は不況の最中というのに、と。プレイに興じる人たちを皮肉る。昭和金融恐慌、世界大恐慌の時代。その波は西村旅館にも覆いかぶさってくる。

11.21 孫動画。妹は食べることが大好き。ご飯終わって、みかんやチーズ食べて、それもなくなると指1本立てる。もう1個ほしいの合図。ママが「おしまい、ごちそうさま」と言うと「いやだ」。姉が「あしたまたいっぱい食べよう」となだめても、「いやだ」と姉の腕を引っぱる。姉「いま食べたいの?」。妹「たべたい」。動画はここまで。そのあとはどうなったか、まだ知らない。

(平野)