2026年11月5日木曜日

生田耕作との日々

11.1の「朝日俳壇・歌壇」より。

〈再読に傍線の謎虫すだく (袋井市)本多りつ〉

〈どことなく毒茸(どくきのこ)らし図鑑引く (いわき市)岡田木花〉

〈野良仕事三十余年を詠みつづる母の歌集は歳時記となる (長野県)御子柴妙子〉

11.4 出版関連営業のフジさん退職の知らせ。「定年」ということなのでしょう。ヂヂイ本屋時代たいへんお世話になった。そのうえ長女が江戸住まいになった時、面倒を見てくださった。感謝感謝。

 

鈴木創士 『生田耕作との日々』 青土社 2700円+税



 1954年神戸市生まれ、フランス文学者、作家、ミュージシャン。『ランボー全詩集』(河出文庫)など翻訳、小説、評論多数。本書はフランス文学者・生田耕作(1924~1994年)との師弟関係を中心に半生を綴る。

生田は京都大学名誉教授、異端派と言われる文学やシュルレアリスムを紹介。神戸御影の出版社・奢霸都館(さばとやかた)顧問、社長は廣政かほる。79年『バイロス画集』が神奈川県警に猥褻と摘発され、社長逮捕。生田は大学を辞職。

鈴木は中学時代から政治活動に参加。高校では授業に出ず、読書、ジャズ喫茶、薬物。この頃中島らもと親しくなる。自分の学校や他の大学・高校をバリケード封鎖。卒業後渡仏し、79年頃帰国。70年頃から生田の評論や翻訳のルイ=セルディナン・セリーヌ、アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・バタイユ、アントナン・アルトーを読んでいた。読者カードを送ったことから生田と交流が始まる。執筆中の原稿や稀覯本を見せてもらい、原稿の清書をするようになり、奢霸都館を手伝う。

〈「魔法使いの弟子」を自認すべきだったのか。この弟子ときたら、自分から物事を始めたのに魔法をどう終わらせていいのかわからず、事態の収拾がつかなくなる。魔法使いの弟子とはそういう意味である。何かをぶちかまし、事を始めようとする彼は孤独である。〉

奢霸都館は文学書・芸術書を作りながら、経営安定のため外注の仕事もしなければならない。社長と鈴木は写植を習得し、機械も導入。広告印刷が主力になる。出版は従来のものから社長の趣味に変容していく。次第に社長との関係が悪くなり、鈴木は愛犬の死などをきっかけに辞める決心がついた。82年頃のこと。

〈先生と二人で話した内容の詳細は思い出せないが、奢霸都の出版物について私の考えを率直に述べたはずである。社長と意見が合わないこともはっきり言ったはずである。先生は気まずそうだっただろうか。そんな風にも思うが、記憶は霞んでしまった。よく思い出せないだけでなく、記憶の中の私もやっぱり霞んでよく見えてこない。しかしその時は今しかなかったのだから、目をつむるのは愚かであった。私は堂々と先生の目を見すえて話をしたはずである。〉

その後、鈴木は映画字幕の仕事をしながら、読書とフランス語学習に没頭。評論や翻訳を刊行する。数年前、人づてに生前生田が自分の翻訳を褒めていたと聞いた。本を贈呈しなかったが、生田が読んでくれていることが「率直に言って嬉しかった」。

(平野)海文堂有志はじめファンは著者を「創様」と呼ぶ。「創様」は生田から円満に「破門」されたのでしょう。コーべブックスの編集長も生田と訣別したけれど、厳しく繰り返し罵倒された由。