2014年11月10日月曜日

次の本へ


 『次の本へ』 苦楽堂編集・発行 トランスビュー発売 1800円+税

 この本の使い方――まえがきに代えてより
「一冊は読んだ。でも、次にどんな本を読むといいのか、わからない」
 何人もの高校生、大学生から聞いた言葉です。いや、学生さんだけじゃないですね。社会人の方からもよく聞きます。(略)

 本書は「この本を読もう」という類の本ではない。どうすれば「自分に合った本と出合うことができる」のかというヒントになる。苦楽堂社主がこれまでの仕事やプライベートで出会った人たち84人に「次の本との出合い」の経験を寄稿してもらった。

 友だち・家族・「大人の人」を通じて、著者が好きで、本屋や図書館で、タイトルで、興味がどんどん深まって、……
 索引の他に〈「次の本」に出合うきっかけ別インデックス〉が設けられている。
 それによると、花房観音「オリジナルへの興味」という分類にあたる。
 桐野夏生『INに登場する小説「無垢人」のモデル・島尾敏雄『死の棘』
IN』は女性作家が編集者と不倫関係になり、その別れを「恋愛の抹殺」として小説にする。題材にした「無垢人」に関わった人たちに取材するが、それは自分の恋愛を辿ることでもある。
『死の棘』は作家である夫が不倫に走り、家庭崩壊。妻は精神を病む。家庭が壮絶・醜悪な修羅場となる。

IN』も『死の棘』も、怖い小説だ。けれど読み終わる度に、人と人とが本気で全身全霊をかけてぶつかるその姿の純粋さが眩しくて、その尊さにひれ伏してしまいそうになる。すべてを剥き出しにして、獣のように求め叫びをあげる男と女は、恋愛の果てに突き進んだ者たちにしか足を踏み入れることのできない至高の美しい世界を知っているのだろう。……

 若者がドロドロの恋愛を参考にしていいのだろうか。現実とはもっともっと醜いものであることも事実。

 11.8記念トークで、北沢夏音は高校時代の苦い思い出から語った。担任の若い先生の心遣いがきっかけで読書発表をし、級友たちに心を開くことができたという体験。その「本」と「次の本」は、『蝿の王』『漂流教室』

 彼らの読書のごくごく一部なのだが、84人それぞれが貴重な体験を語ってくれていて、彼らの人となりが伝わってくる。
 本書は毎年1冊のペースで刊行予定。目標は紹介する本が千冊になるまで。








 本書の装幀・装画に使われているのは、青山大介「海文堂書店絵図」
 青山の仕掛けで「海文堂ありがとう!!」の言葉が隠されているのだが、そこがちょうど本体裏表紙左上部分になっている(下段)。こうなるように装幀してくれたのだと思う。なくなってしまった本屋への[愛]だと勝手に解釈して感謝申しあげます。
 本書の販売現場にいることができない情けなさも感じつつ。

(平野)

2014年11月9日日曜日

野間宏詩集


 『野間 宏詩集』 五月書房 1975年(昭和503月刊 函入り・革装 サイン

 野間宏(19151991)神戸市長田生まれ、西宮育ち。戦後文学を代表する作家のひとり。
 小説作品から反戦や社会運動の詩が多いのかと思っていたが、意外というか、恋愛詩が目立つ。



「魂の天体」

恋人よ、夕暮れの野に花に代って花よりも柔らかく胸は開く、
君を思いてわが身体の真上に憩いあり、
そこに巨なる愛の瞬きの聚雨渡る如く
幾千の星仰ぎ見てその涼しい生命の響さが額掠めて落ち来るとも。
……

「紫陽花」

恋人よ! その身新しい身なり、
病癒えて青い野に立つ美しい身体の弾み、
その辺り歓びは草々の上にしばし溜り、
広い地には柔らかい色がはや降りている、
恋人よ! 夕の野に光り収める一群の紫陽花の花。
……
 
(平野)
11.2 神保町のワゴンで。たぶん「田村書店」だったと思う。31日にコーべブックスの本が1冊あって、迷ってやめて、この日やっぱりなかった。

 苦楽堂編・発行 『次の本へ』 1800円+税

 神戸で出版社を興した仙台出身の編集者・石井さん。
http://kurakudo.co.jp/

 11.8(土)灘区ワールドエンズ・ガーデンで出版記念トーク会。
 出演 石橋毅史(『「本屋」は死なない』) 北沢夏音(『Get backSUB!』)

 次に読む本を見つけられない若い人たちに向けて。
 読書人たちはこうして「次の本」を見つけた!





 

 本書の内容につきましては改めて紹介。
 カバー、本体、それに装画のイラストは青山大介「海文堂書店絵図」(くとうてん発行)から。
 ワールドエンズ・ガーデンでは84人の執筆者が取り上げた本を展示・販売中。

2014年11月8日土曜日

神戸異人館


 広瀬安美 『神戸異人館』 保育者カラーブックス 1977年(昭和5212月刊
 
 

 当時北野町周辺と居留地、須磨・塩屋に残っていた異人館約50軒を、イラストと写真で紹介。

 神戸における外国人居留地整備、洋館建築はイギリス人の土木技師・建築家たちの功績によるもの。その作業に直接携わったのは日本人の大工・左官・石工たち。彼らは外国人技師の要求に応えられるだけの技術をもっていた。

 

……日本人職人のあまり得意としていない石材を外国人建築家はふんだんに使っている。これは従来の日本民家にはないことで、基礎部分はもちろん一階ベランダの床材として花崗岩を磨きあげ、階段の装飾や暖炉まわりの大理石細工などは、恐らく日本人石工にとっては初めての経験であったろう。にもかかわらず外国人建築家たちはクレームのつけようのなお出来栄えに舌をまいたと思われる。……

 大工にしても、社寺建築とはまったくちがう柱や腰板の装飾など、苦労はあったろうが見事に仕上げている。

 本書刊行から40年近く経ち、異人館はさらに老朽化。震災で壊れた建物もある。個人の所有で処分されるものもある。減っていくばかり。地元の保存運動にも限界がある。

(平野)

 10.31(続き)
 すずらん通り〈キントト文庫〉で。
 表紙の絵は、旧EH・ハンター住宅(ハンター邸)。

2014年11月7日金曜日

神戸歴史散策


 春木一夫 『神戸歴史散策』 保育者カラーブックス 1981年(昭和562月刊
 
 

 著者は、ハイカラ・異国情緒だけで神戸をきめつけてしまわれるのは「大そう迷惑」と言う。
 確かに神戸中心部は開港以来の土地だから、歴史も伝統もない。

……住民も各地からの集合体にしか過ぎない。その代り身軽であるため、新しいものにすぐ飛びつき、どこの出身であろうと、外国人であろうと別け隔てなく、それこそ一視同仁である。だから、住むのにこれほど気楽な土地は、ほかにはないと思われるほどである。……

 しかし、歴史を語るとなると、兵庫や長田、須磨、それに阪神間、さらに兵庫県全体を問題にしなければ成り立たない。兵庫県は、北は日本海、南は瀬戸内海に面し、旧七国(通常、摂津、丹波、但馬、播磨、淡路の五国と言うが、実は備前と美作の一部を含んでいる)からなる文化複合体で、そこに神戸が「新しい海外の匂いで染め変えている」

 巻末に読み物、「源平大合戦」「神戸・初め物語」。

(平野)

 10.31(続き)

 古書会館から〈文庫川村〉。文庫と新書専門店。ここで本書発見。
 表紙、東灘の酒蔵を歩く女性2人、当時コーべブックスのバイトさんだった。
 元町商店街HP更新。「【海】という名の本屋が消えた」(12)は花隈の女性興行師。
http://www.kobe-motomachi.or.jp/

2014年11月6日木曜日

ポルカ マズルカ


 竹中郁 『詩集 ポルカ マズルカ』 潮流社 1979年(昭和545月刊

 竹中の第9冊目の詩集。翌年読売文学賞受賞。

「そのノートブック」

十三年前といえば
敗戦直後だ
その時代のうすっぺらなノートブック
紙質もわるく インクもわるく
息たえだえだ

かろうじて読める文字
空腹で倒れそうな文字
さむいかとか リンゴはあるかとか
書いてある
停電 停電とも書いてある

そのノートブックが
そのころ一家八人を養ってくれた
そのころ ぼつぼつ詩が売れた
そのノートブック 日焼けして
そのノートブック 手垢で擦れて
そのノートブック すこぶる軽い

 限定500部、サイン入り。

(平野)
10.31(金)
 本郷のNR出版会事務局にご挨拶。くららさんと赤ちゃんに会えて、それだけで来てよかったと思う。インパクト、新泉社の皆さんと昼ごはん。
 ニコライ堂から古書会館。「本多正一の写真・仕事展」見て、古書即売会場。旅行カバン持ったままで入場していて、お客さんに「荷物預けなさい」と注意を受ける。すみません、不慣れで失礼。おかげで本書を見つけることができた。

2014年11月5日水曜日

赤瀬川原平の芸術原論展


 赤瀬川原平の芸術原論展 1960年代から現在まで

10.2812.23 千葉市美術館 http://www.ccma-net.jp/

 


1 赤瀬川克彦のころ  2 ネオ・ダダと読売アンデパンダン  3 ハイレッド・センター  4 千円札裁判の展開  5 60年代のコラボレーション  6 「櫻画報」とパロディ・ジャーナリズム  7 美学校という実験場  8 尾辻克彦の誕生  9 トマソンから路上観察へ  10 ライカ同盟と中古カメラ  11 縄文建築団以後の活動

(平野) 11.1(土)雨で「神保町ブックフェスティバル」が中止。生まれて初めて千葉の土を踏む。

2014年11月4日火曜日

山本周五郎の須磨


 木村久邇典(くにのり) 『山本周五郎の須磨』 小峯書店 1975年(昭和509月刊(手持ちは7610月再発売)

 木村は文芸評論家。山本周五郎、太宰治に関する著書多数。

目次

《研究》
山本周五郎の須磨  山本周五郎の山陰  山本周五郎の九州  山本周五郎の甲州  須磨浦安の間 ……
《講演と対話》
山本作品における『五瓣の椿』  山本周五郎の世界  『青べか物語』の社会背景
《随筆》
最後の毛筆自署  調べごと  『明和絵暦』について  山本周五郎の文学碑  『樅の木は残った』の旅
《解説》
『ちいさこべ』 『妻の中の女』  完本『山本周五郎全エッセイ』解題   完本『山本周五郎全エッセイ』の編集について ……
《山本周五郎主要作品鑑賞小辞典》

 表題文は雑誌『噂』に連載(73年~74年)。親友の証言と現地取材で、須磨の下宿の位置、夫人のこと、勤めていた雑誌社のことなどを調査。須磨在住の足立巻一も協力している。
 山本周五郎のデビュー作『須磨寺附近』1926年『文藝春秋』掲載)は、関東大震災後神戸に住んでいた頃のことを題材にしている。
 本名・清水三十六(さとむ)、筆名は少年時代から奉公した質屋「山本周五郎商店」(店主の名)から。店主は従業員に勉学を奨励し、英語と簿記の夜学に通わせた。三十六の店主への敬愛の表われだろう。
 しかし、三十六は質屋が嫌だった。もの書きになりたかった。どういう訳か、三十六は店主が自分を後継にしようと考えていると思い込んでいた。大震災は脱出の絶好の口実だった。質屋の人々は幸い皆無事だったが、店主は復興の困難を予想して、店の一時閉鎖を決断。三十六は関西に向かう。出版も東京では復旧に時間がかかる、東京がダメなら大阪と考えた。大阪朝日新聞社に飛び込み、大震災記事を書かせてもらう。記事にはならなかったが原稿料はもらえた。
 同級生の姉で神戸に嫁いでいた人の家に下宿させてもらう。『須磨寺附近』はその女性との短い間の交際を描いた短篇。まだ二十歳の三十六にとっては永遠の憧れの女性だった。小説では「清三」と「康子」。
 清三は康子と秋の須磨寺境内を散歩。康子が尋ねる。

「あなた、生きてゐる目的が分りますか」……「生活の目的でなく、生きてゐる目的よ」

この言葉は山本周五郎が書き続けてきた理由でもある。
物語は、康子がアメリカの夫の下に旅立つことで終わる。「須磨寺附近」は新潮文庫『花杖記』に収録。

他にも当時のことを題材にした短篇がある。「陽気な客」(『つゆのひぬま』新潮文庫所収)、「豹」(『人情裏長屋』新潮文庫所収)。

三十六の神戸での生活も3年ほどで終わる。
 さて、三十六が勤めたのは元町通の南側栄町通4丁目にあった「夜の神戸社」という雑誌社。今流でいえばナイト・タウン情報誌。芸者、カフェー、ダンスホールなどの評判やゴシップ記事、広告。
(平野)