■ 木村久邇典(くにのり) 『山本周五郎の須磨』 小峯書店 1975年(昭和50)9月刊(手持ちは76年10月再発売)
木村は文芸評論家。山本周五郎、太宰治に関する著書多数。
目次
《研究》
山本周五郎の須磨 山本周五郎の山陰 山本周五郎の九州 山本周五郎の甲州 “須磨”と“浦安”の間 ……《講演と対話》
山本作品における『五瓣の椿』 山本周五郎の世界 『青べか物語』の社会背景
《随筆》
最後の毛筆自署 調べごと 『明和絵暦』について 山本周五郎の文学碑 『樅の木は残った』の旅
《解説》
『ちいさこべ』 『妻の中の女』 完本『山本周五郎全エッセイ』解題 完本『山本周五郎全エッセイ』の編集について ……
《山本周五郎主要作品鑑賞小辞典》
表題文は雑誌『噂』に連載(73年~74年)。親友の証言と現地取材で、須磨の下宿の位置、夫人のこと、勤めていた雑誌社のことなどを調査。須磨在住の足立巻一も協力している。
山本周五郎のデビュー作『須磨寺附近』(1926年『文藝春秋』掲載)は、関東大震災後神戸に住んでいた頃のことを題材にしている。
本名・清水三十六(さとむ)、筆名は少年時代から奉公した質屋「山本周五郎商店」(店主の名)から。店主は従業員に勉学を奨励し、英語と簿記の夜学に通わせた。三十六の店主への敬愛の表われだろう。
しかし、三十六は質屋が嫌だった。もの書きになりたかった。どういう訳か、三十六は店主が自分を後継にしようと考えていると思い込んでいた。大震災は脱出の絶好の口実だった。質屋の人々は幸い皆無事だったが、店主は復興の困難を予想して、店の一時閉鎖を決断。三十六は関西に向かう。出版も東京では復旧に時間がかかる、東京がダメなら大阪と考えた。大阪朝日新聞社に飛び込み、大震災記事を書かせてもらう。記事にはならなかったが原稿料はもらえた。
同級生の姉で神戸に嫁いでいた人の家に下宿させてもらう。『須磨寺附近』はその女性との短い間の交際を描いた短篇。まだ二十歳の三十六にとっては永遠の憧れの女性だった。小説では「清三」と「康子」。
清三は康子と秋の須磨寺境内を散歩。康子が尋ねる。
「あなた、生きてゐる目的が分りますか」……「生活の目的でなく、生きてゐる目的よ」
この言葉は山本周五郎が書き続けてきた理由でもある。
物語は、康子がアメリカの夫の下に旅立つことで終わる。「須磨寺附近」は新潮文庫『花杖記』に収録。
他にも当時のことを題材にした短篇がある。「陽気な客」(『つゆのひぬま』新潮文庫所収)、「豹」(『人情裏長屋』新潮文庫所収)。
三十六の神戸での生活も3年ほどで終わる。
さて、三十六が勤めたのは元町通の南側栄町通4丁目にあった「夜の神戸社」という雑誌社。今流でいえば“ナイト・タウン情報誌”。芸者、カフェー、ダンスホールなどの評判やゴシップ記事、広告。(平野)