■ 『戦争の教室』 松本彩子、臺宏士、渡辺久浩、中島浩、神林豊編集
月曜社 2014年7月刊 1800円+税
あの戦争を直接体験した人、その人たちの体験を聞いた人、各地の戦争現場に立ち会った人、戦争の不安を感じている人、災害体験を戦争と重ねる人、直接体験していないのに戦争の傷を背負わされている人、画家、作家、学者、建築家、ジャーナリスト、会社員、留学生……元慰安婦。戦前生まれの人から1990年代生まれの人まで80人が、「戦争」について様々な角度から語る、表現する。
来年2015年は敗戦から70年目。当然のことながら戦争体験者はどんどん減っている。
……富国強兵を目指した旧憲法(大日本帝国憲法)下の約六十年間、日本兵の死者は膨大な数に上る。一方、日本国憲法下で創設から今年で六十年になる自衛隊員の死者はゼロである。もちろん、交戦していないのだから他国の兵士を殺害したこともない。「不戦社会」を長く実現できたのは、日本国憲法が三大原則の一つとして掲げている「平和主義」にあることは言うまでもない。前文には「平和」の言葉が四回も繰り返し登場し、九条が定めた戦争放棄は、日本国民が選択したそのための手段だ。不戦状態は、戦勝国の軍隊が占領した状況下で施行された憲法と言え、平和は当時の日本人自身が憲法に掲げた理想で、それを維持して来たのは、積極的に意識してきたかは別にしても、この社会の大半を占める戦後生まれの日本人であることは紛れもない事実だ。しかし、社会が戦争体験と縁遠くなるにつれて戦前の「戦争社会」が忍び寄っているという現実も一方にある。…… 臺宏士
丸木位里 丸木俊 大逆事件
澤地久枝 七十年前 私は軍国少女だった
坂崎重盛 兄・幸太郎さんの残した一冊の本
岩永文夫 パンパン考
植松憲一 『難民』、祖国を喪うひとびと アフリカからの報告
高取英 明治維新と戦争
高橋智 戦争と書物
会川晴之 アンジェイ・ワイダ監督が語る 戦争と平和
渡部潤一 宇宙から考える人類
佐藤哲郎 靖国 小唄の師匠と中国人青年
浅生ハルミン 荷風さんいえやけた・これあげる
李台 初心者ヘアドレッサーの戦争
伊藤範 家族 東北にて
丘山源 厚生省創設と「健康ファシズム」 戦争と健康
河田真矢 酒と平和
神足祐太郎 私の知らない戦争 祖母と父の間に
……
最年少は1990年生まれの中国人留学生・程思睿(筆者略歴ページでは「遠睿」となっている。どっちが正しい?)。中国では戦争も革命もその後の貧困も知らない世代、「赤色教育」も受けていないそう。「90後(チュウリンホウ)」と軽蔑のニュアンスを込めて呼ばれる。
……なぜ祖父母が抗日戦争を語るときに、あれほど敵意や憎悪をむきだしにするのか、理解に苦しむ。と同時に、自分がそのような悲痛な体験をもたないということにも、ほっと胸をなでおろしている。でないと、かつての「敵地」を留学先にえらんでやってくることなど、思いもよらなかったにちがいない。……
われわれは歴史に束縛され、それにかこつけて宿怨の由来やら報復の口実やらにすべきではない。もちろんわれわれは歴史を銘記すべきで、その残酷さを理解してこそ、ふたたび同じ轍を踏まずにすむのだ。たとえわれわれが身を置く平和の基盤がいかに脆弱なものだとしても、僕たちは二度とふたたび、大量殺戮ほかならぬ現代戦争をえらんではならない。そうでないと、後代の人間がもういちど僕たちが犯した愚行を思い返し、みずからの祖先がみずからの家郷をどうして破滅させてしまったのか、まったく腑におちず、嘆息をもらさずにはいられないだろう――これもまた断じて僕の望むところではない。……
日本人の最年少は根本綾香(1989年生まれ、金融機関に勤務)。同期の女子たちと旅行に行く。未知の世界、非日常の日々で、日本とは違う歴史や環境に直面する。日常の場面に戦争の緊張があり、地雷の被害があり、血なまぐさい記念碑がある。
安息のひと時である女子旅。しかし旅に出ると、思いがけず「戦争」に触れる。厳しい世界の現実と自らの未熟さに向き合わざるを得ない。……
日本でもそのような現実を知ることができる。報道写真展には毎年足を運ぶ。恋人や家族を戦争で失ったら……、自分の身に置き換え考える。
戦争と平和は、表裏一体だと思う。軍事的な意味での戦争を体験していない日本の女子たちには、想像力が不可欠になる。想像力を膨らませるためには、思う存分、気のしれた仲間と語りあい、思いを吐露し、自分を知ることだ。そして世界に目を向け、見聞を深め、五感で感じることだ。……
戦争の危機は深刻だが、将来のことは若者たちに任せて大丈夫だと思う。
(平野)