■ サマセット・モーム 龍口直太郎訳
『コスモポリタンⅠ・Ⅱ』 新潮文庫 1962年(昭和37)7月刊(手持ち、Ⅰは67年7刷、Ⅱは65年4刷) 現在はちくま文庫『コスモポリタンズ』(1994年)で読める。
龍口の「あとがき」より。
1923~29年、アメリカの雑誌『コスモポリタン』の依頼で寄稿した掌篇30篇。当時既にアメリカの雑誌は広告のためのもの。記事は「広告に読者を近づけるエサ」。小説も同様で、第1ページは挿絵入りで掲載しても後ろの方は広告ページの間に入れられてしまう。しかし、編集者はモームに「広告のヒモのつかない作品」を書いてもらった。見開きページで完結するような短い作品。
この作品集の書名は『コスモポリタン』誌に由来するが、各作品の登場人物が故国を離れた人たちであることにもよる。モーム自身が世界各地を訪問した“国際人”。諜報活動をしていたという説もある。各国の中心都市や観光地ではなく、田舎、辺境、孤島、外国航路の船内など。著名人も登場しない。
「異国の土」より。
私は諸国を放浪するのが好きなたちだが、それは、荘厳な史跡を探ねるためでもなければ、明媚な風光をめでるためでもない。どんな遺跡を見ても、私にはなんだか退屈だし、いかに美しい景色、すぐにあきあきするからだ。私が旅をするのは、人間というものを知るためなのだ。といっても、おえら方に会うためではない。私は大統領や国王のお出迎えに、道路ひとつ横切るのもたいぎなほうなのだ。作家には、その著書のなかでお目にかかればたくさんだし、画家にも、その画のなかで会えば充分だ。だが、ある宣教師の不思議な身の上話を小耳にはさむと、その人に会うために、千里の道も遠しとしなかったし、また、ある玉突きのゲーム取りと近づきになるために、うすぎたないホテルで、二週間もねばったことさえある。広い世の中には、思いもそめぬところで、ひょっくり出くわして、これはちょっとめずらしい、と眼をまるくするような人物がよくいるものだが、そのほかには、どんな人に出会っても、私が驚くようなことはまずないといっていい。……
神戸の地名が出てくるのは「困ったときの友」。塩屋・垂水。あらすじは紹介しない。ただ題名にはご注意を。
「物識先生」では、脇役で神戸のアメリカ領事館駐在員登場。
(平野)