■ 『村上華岳 アサヒグラフ別冊 美術特集 日本編61 』 朝日新聞社 1989年11月
表紙の絵は「裸婦像」(1920年)
「華岳のなまめかしさ」 岩崎吉一(当時、東京国立近代美術館企画課長)
華岳の作品には一種官能的な〈艶めかしさ〉がある。(略)彼の手記、雑感を読むと、肉的官能的なものを肯定しつつ、いかにして霊的精神的なものに昇華させるかを、さまざまな場合に即して、さまざまな言葉で書き記している。そして繰り返し述べられている内省と自戒の苦渋に満ちた言葉は、それがいかに切実で、しかも困難であったかを如実に物語っているのである。
(「裸婦像」について)……より直接的に、肉的官能的なものを霊的精神的なものに昇華しようと意図する作品であった。これは華岳にとっての理想画であり、豊満な肉体はまさしく現実的な女性だが、同時にこの裸婦が観音であることも暗示されている。のちに彼はこれがイメージの中にある永遠の女性の表現であることを認め、裸婦の眼に観音や観自在菩薩の清浄さを表そうと努めるとともに、乳房のふくらみにも同じ清浄さをもたせたいと願ったことや、肉であるとともに霊であるものの美しさ、髪にも口にも、また腕にも足にも、あらゆる調和の美しさを描こうとしたことなどを語っている。
(平野)