2014年11月18日火曜日

須磨寺と山本周五郎


 『須磨寺と山本周五郎――須磨は秋であった。』 大本山須磨寺塔頭正覚院 平成六年(19942月第1(手持ちは952刷) A4119ページ 非売品

 開祖弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として、三重塔再建、周五郎文学碑建立などを企画。「須磨寺塔頭正覚院シリーズ」全5巻出版も。本書はその第2巻。須磨寺周辺の古地図など資料、須磨寺と山本周五郎に関する記事・論文を収録。

 文学碑は8312月完成、翌年4月除幕式。「樅の木は残った」の舞台・仙台産の石「泥かぶり」を縦に切断し、それぞれに「須磨寺附近」の一節と周五郎自筆の言葉を刻んだ。

《須磨は秋であった。……
ここが須磨寺だと康子が云った。池の水には白鳥が群を作って遊んでいた。雨がその上に静か濺いでいた。……
 池を廻って、高い石段を登ると寺があった。……
「あなた、生きている目的が分かりますか」
「目的ですか」
「生活の目的ではなく、生きている目的よ」》
 
《貧困と病気と絶望に沈んでいる人たちのために幸ひと安息の恵まれるように。 周五郎》

直筆の言葉の「のため」は後から書き入れた印と共に書き込まれている。
 制作は彫刻家・速水史朗。

郷土文学に詳しい宮崎修二朗が「須磨寺附近」康子のモデルにインタビューした記事(本書発行の10年前)を収録。彼女の記憶では周五郎の神戸滞在は約5ヵ月(大正12.913.1)。というのは、彼女が渡米したのが131月半ばで、周五郎も同時に帰京したそう。別れの時に「もし山本周五郎という名の小説を見たら、私が出世したと思って下さい」と言った。

木村久邇典の研究では3年滞在だが。

(平野)