■ 『須磨寺と山本周五郎――須磨は秋であった。…』 大本山須磨寺塔頭正覚院 平成六年(1994)2月第1刷(手持ちは95年2刷) A4判119ページ 非売品
開祖弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として、三重塔再建、周五郎文学碑建立などを企画。「須磨寺塔頭正覚院シリーズ」全5巻出版も。本書はその第2巻。須磨寺周辺の古地図など資料、須磨寺と山本周五郎に関する記事・論文を収録。
文学碑は83年12月完成、翌年4月除幕式。「樅の木は残った」の舞台・仙台産の石「泥かぶり」を縦に切断し、それぞれに「須磨寺附近」の一節と周五郎自筆の言葉を刻んだ。
《須磨は秋であった。……
ここが須磨寺だと康子が云った。池の水には白鳥が群を作って遊んでいた。雨がその上に静か濺いでいた。……池を廻って、高い石段を登ると寺があった。……
「あなた、生きている目的が分かりますか」
「目的ですか」
「生活の目的ではなく、生きている目的よ」》
直筆の言葉の「のため」は後から書き入れた印と共に書き込まれている。
制作は彫刻家・速水史朗。
郷土文学に詳しい宮崎修二朗が「須磨寺附近」康子のモデルにインタビューした記事(本書発行の10年前)を収録。彼女の記憶では周五郎の神戸滞在は約5ヵ月(大正12.9~13.1)。というのは、彼女が渡米したのが13年1月半ばで、周五郎も同時に帰京したそう。別れの時に「もし山本周五郎という名の小説を見たら、私が出世したと思って下さい」と言った。
木村久邇典の研究では3年滞在だが。
(平野)