『日本文学100年の名作 第6巻』(新潮文庫 2015年)所収
初出『話の特集』1968年1月号。
小松の空襲体験は以前紹介した。本作品は戦争をSF小説で描く。
《阪神間大空襲の時、僕たちは神戸の西端にある工場から、平野の山の麓まで走って待避していた。給食はふいになるし、待避は無駄になったので、僕たちはぶつぶつ言った。芦屋がやられているらしいと聞いても、目前の疲労に腹を立てて、気にもかけなかった。またいつものように工場から芦屋まで歩いて帰るのだと思うと、情なくて泣きたくなった。神戸港からあいやまで十三キロ、すき腹と疲労をかかえ、炎天をあえぎながら歩いて帰る辛さは、何回味わっても決して慣れる事はない。空襲があれば必ず阪神も阪急も国鉄もとまってしまい、翌日まで動かない事もあった。》
「平野」は兵庫区平野町。清盛ゆかりの史跡、神社がある。
芦屋の自宅一帯は燃えていた。父が立っていた。会社の寮に向かう途中、以前家政婦に来てくれていたお咲さんに出会う。今、浜近くの屋敷に住み込んでいて、そこの奥さまに泊めてもらえるよう頼んでみるから来いと言ってくれる。芦屋の昔からの邸宅は阪神電車の芦屋駅付近にある。山の手は新興階級の家だそう。
屋敷の奥さまは40歳くらいの上品な女性。お咲さんの申し出でに「困ったわね」と言いながら泊めてくれることに。父は会社から出張命令が出て、僕だけが住まわせてもらう。
屋敷には病人がいるらしい。夜、泣き声が聞こえる。
朝晩米の飯を食べさせてもらう。弁当も持っていけと言われるが、友人たちの食生活を思うとそれはできなかった。空襲はますます激しくなり、日に3度ということもあった。警報のサイレン、待避の半鐘、高射砲、B29の爆音、焼夷弾の弾ける音、火と煙の中を山へ逃げる。
《――毎日暑い日だった。やたらに暑い上に、空気はいがらっぽく焦げた臭いがし、焼跡の熱気は夜の間も冷える事なくこの暑さを下からあぶりつづけた。いらだった教師や軍人は、僕らをやたらに殴りつけた。腹の中は、熱い湯のような下痢でもって、みぞおちから下半身まで、いつでも一本の焼け火箸をさしこまれているような感じだった。騒音と爆音と怒声、それと暑さの中で、僕たちは自分たちが炎天の蛙の死骸のように、黒くひからびて行くのを感ずるのだった。》
屋敷は別世界だった。僕は病人のことが気になる。お咲さんに尋ねるが、母屋には行くな、病人のことは自分も知らない、と言う。
西宮が空襲された日、奥さまは予言めいたことを言った。西の方が「もっとひどい事になる」と。神戸よりもっと西だ、と。僕は下痢で工場を休んだ。母屋の奥にある客用便所まで行った。お咲さんと出くわすと、彼女はびっくりして洗面器を落としかけた。中から腐ったような臭いがし、血と膿で汚れた繃帯が見えた。また病人のことを尋ねるが、お咲さんは、人様の内輪のことを詮索するな、2階には決して行くな、不幸が起きる、と釘を刺した。さて、この家の秘密とは?
私は戦争を考えて、「くだんのはは」という題名を「九段の母」と変換してしまう。違う。小松左京が私の頭でもわかる話を書くわけがない。
(平野)
〈ほんまにWEB〉連載3本更新。