■ 小松左京 「日本アパッチ族」
1964年、光文社カッパノベルス刊
『小松左京全集 完全版』第1巻 城西国際大学出版会(2006年9月)所収これは「大阪空襲」もの。
戦前、大阪城の東側(現在大阪城公園)に軍事工場が集中していた。
《ここはかつて、大阪最大の、しかしもっともすさまじい「廃墟」であった。
戦前、ここには陸軍砲兵工廠があり、それが戦時中くりかえし爆撃を受け、ついに見わたすかぎり巨大なコンクリートと鉄骨の、瓦礫の山と化した。くずれた塀や、ねじまがった鉄骨の残骸は視界をはばみ、足のふみ場のないほど煉瓦やコンクリートの塊がつみかさなり――やがて終戦とともに高さ三メートルもある雑草がおいしげって、飢えた野犬が徘徊し、一度足をふみいれたら、生きてかえってこれないとさえいわれる魔所と化した。(中略)――だが、この巨大な、牙をむく廃墟へ向かって敢然といどんだ、おそるべきエネルギーにみちた人がいた。これこそ、あの有名な屑鉄泥棒――通称「アパッチ族」だったのである。》
大阪は大都会の姿を回復した。あの「廃墟」も片づいた。戦後19年たって、小松は大阪の風景の中にあの「廃墟」と「アパッチ」のエネルギーを感じる。
物語では、憲法は既に改正され、軍隊が復活。死刑は廃止されたが、「追放刑」が新設された。社会の外に追放され、自由に生きていいが、待っているのは餓死。主人公木田福一(アパッチ名キイコ)は失業罪(失業3ヵ月以内に次の仕事を見つけなければ強制労働、危険人物と見なされれば「追放」)で砲兵工廠焼け跡の追放地に放り込まれる。餓死か野犬に食われるか。先住者山田が脱走を試みるが、扉に身体をはさまれ首だけが門の外に落ちた。木田は半裸の男に助けられる。男は屑鉄泥棒・アパッチ族の一員。彼らは依然「廃墟」で生きていた。数年前、軍は彼らを殺戮したが、生存者がいた。「廃墟」は追放地となり、アパッチ族は屑鉄を主食にした。酸でいためたり、煮込んだり。ガソリンや軽重油は飲み物。くわしい調理法も紹介されている。
《鉄を食べることによって、アパッチの体はほとんど完全に鋼鉄化していた。(略、体組織の機能変化も詳しく説明)。彼らの運動神経は常人をはるかに上回る。(略、生殖様式は化学式で説明)》
アパッチ族は平和に静穏に暮らしていたが、食糧=屑鉄埋蔵量が課題。外部との闇交易でスクラップを化学薬品やガソリンと交換していた。警察と軍による取り締まりが厳重になり、先の脱走事件で、追放地整備計画が決定した。「廃墟」の屑鉄発掘も目的。
アパッチは政府、産業界と交渉するが、戦争が始まる。苦戦する軍は核兵器を持ち出した。アパッチは、敵の武器をかじって使用不能にしたり、鉄塔や土管を食って電気・水道・ガスを止めるというように、一見平和的戦い。だが、部族の女子ども老人を盾にし、市民を巻き添えにすることもある。戦争にきれい・汚いはない。
小松は文化論、産業論を交え、ギャグをちりばめ、架空の物語をつづる。
残ったのはアパッチ族、日本はまた廃墟になった。キイコは泣いた。
《「日本は……日本はほんまに、ええ国やった……」(略)「大阪かて、ええ街やった――うすよごれて、やさしゅうて……ちまちましとって……(略)おれはもう、なんや、アパッチであることに耐えられんみたいな気になった……」》(下線部原文は傍点、以下同じ)
大酋長は、アパッチが国づくりをはじめる、と言う。キイコは戦闘中にシンパのジャーナリストと人間的な喜びや悲しみについて議論した。キイコは、アパッチに未来はない、文化や幸福など考えなければならなくなったときに考えればいい、と答えた。
《――今、この地の寸土からも、「文化」の痕跡の消えうせたあと、私がこの先、この廃墟のみの世界でアパッチたることにたえうるだろうか?――私はまたもや涙があふれるのを感じた。》
(平野)砲兵工廠とアパッチ族については、開高健『日本三文オペラ』(新潮文庫)、梁石日『夜を賭けて』(幻冬舎文庫、品切)を。