2016年7月1日金曜日

日英ハーフの空襲


 島京子 「借りてきたライオン」 
『かわいい兎とマルガレーテ』(編集工房ノア、2002年)所収

 1990年の作品。
 エミ子は1923年生まれ、父は日本人、母はイギリス人、オーストラリアで出会った。父は日本での暮らしを望むが、母は承知せず離婚。神戸に着いてすぐ、父はチフスで死亡。京都の伯母が御影町(戦後神戸市に編入)に家を借りて遠縁の女性を家政婦につけてくれる。エミ子が女子商業学校(3年制)を卒業した年に家政婦が急死、「ライオンが咆えとるみたいな声」で泣いた。友人文子の世話で細川家の長屋に転居(場所不明だがたぶん兵庫区)して一人暮らし。文子と細川の人たちが親身になってくれる。エミ子は授産所で軍隊の白衣や下着の縫製をしている。細川公子は高等女学校3年生だが、病弱で工場動員に参加できず休学中、退学も考えている。エミ子は近所でいじめられる公子を「ライオンの咆え声と〝あの世の声"」で助ける。
 神戸にも空襲。まだ冬の時期、毎晩のようにB291機やって来て警報が出るたびに、人びとは身支度し、防空壕に入る。ついには昼間の服装のまま寝ることになる。米軍の神経作戦。
《長屋では、エミ子の逃げっぷりの鮮やかなことが評判になった。エミ子は極上の綿をたっぷり詰めこんだ防空頭巾と、大切なアルバムや絹のストッキング、文庫本、当座しのぎの米少々などを入れたリュックサックと、救急カバンを身につけ、風呂敷包み一つを持って、公子の家の防空壕へかけつけた。》
 317日。
《その日、未明よりなお早い午前二時ごろ、空襲警報が出た。間なしにいくつもの照明弾により東西に長く伸びた神戸の街と、海が、ふしぎな明るさのなかに浮び上った。神経質な灯火管制をあざ笑うように、光度を消したような明るさは、都市空間にしばらく滞留していた。》
 エミ子が防空壕に入った様子はなかった。
《やがて敵機は、天地を揺るがす轟音とともに、いつもより低空で次々に飛来し、小型爆弾と焼夷弾の投下を開始した。焼夷弾は上空で結束が解かれ、一弾ずつが火を吹きながら、連らなって落ちてくる。きらびやかな瓔珞のようだったが、目の下の街の随所はたちまち炎と煙に包まれ始めた。敵機は数知れぬ投下弾を撒いては北上し、旋回して海上から侵入して街を襲った。》
 細川家にも焼夷弾が落ちたが、公子が用意していた砂で消した。裏山が燃え、火が迫ってきたので小学校に避難。焼夷弾が地面に突きささっているが、家は無事。でも、エミ子がいない。
《公子の家族が心配していると、三日目の朝になって、エミ子は憔悴し汚れた姿で現われた。自慢の防空頭巾にも、乾いた泥がこびりついていた。
「どこへ行ってたん、みんなどないに心配したか」
「京都へ逃げて行こ、と思うて、歩いて御影の方まで行ってんけど、夜は小学校で寝たんやけどな、焼跡で、みんなが缶詰掘りをしとる、て、人が走って行くから、私も行ってみたんよ」
 重そうな風呂敷包みを、音たてて縁の沓脱ぎに置いた。缶詰は黒く焦げたものもあったが、すべて鮭缶で、中味に変りはなかった。
「家の方が安全やったんか。けど、怖うてじっとしとられへんかったんよ」
 焼跡では、焼死体になった人を、たくさん見た、ともエミ子は言った。》
 エミ子は家政婦が亡くなってから「怖がり」になっていた。だけど、怖い話が好きで、読んでは、より恐怖心が増し、夜中金縛りになる変な子! 栗色の長い髪、小麦色(かなり黒め)だが光沢のあるきめ細かい肌、くぼんでいるが大きい目(色不明)、長いまつ毛、身体は「樽のようにどっしり」している。公子は「アマゾネスのようだ」と感嘆する。洋裁が得意で、華道・茶道稽古、「ライオン」のような声で浪曲を語り、お茶漬けが好き、国防献金している軍国乙女。戦後の生活も波瀾万丈。
(平野)