■ 小松左京 「戦争はなかった」
『小松左京全集完全版』第15巻 城西国際大学出版会(2010年8月刊)所収初出『文藝』1968年8月号(河出書房新社)
戦後20数年、旧制中学の同窓会。盛り上がり、〈彼〉も酔った。戦時中の「いろんなことが脈絡もなくどっと思い出されてきた」。〈彼〉は、あの頃は好きでなかった軍歌を歌った。でも、誰も知らないと言う。防空壕や工場動員の話をするが、予科練に行った男も幹事も〈彼〉を酔っ払い扱いする。
《「工場動員?――中学生のおれたちが、なぜ工場なんか行ったんだ?」
「きさままで、とぼけるのか!」泣くような声で、彼は叫んだ。「戦争を忘れたのか! あの大東亜戦争を……」どうかしているぞ、こいつは――というつぶやきがまわりできこえた。(後略)》
翌日二日酔いで会社を休んだ。妻に戦争のことを尋ねたが、知らない、20数年前に何があったかも覚えていない。「生理的な吐き気」に「心理的なそれ」が加わる。本屋に戦後派の戦争文学の名作がない。おもちゃ屋に大和や零戦のプラモがない。レコード屋には軍歌がない。本屋に戻って年表と日本現代史の本を買った。年表も見ても、昭和前半を読んでもわからない。わかったことが一つ。
《大東亜戦争はなかった(原文傍点)ということである!》
異なる歴史の中にとびこんだのか? 誰かが戦争の記録と記憶を消去したのか? みんなが隠している? 自分の妄想? 悪夢?
新聞社の友人に過去の縮刷版を見せてもらうが、わからない。友人も妄想だと言う。〈彼〉は戦争と敗戦後の歴史を力説するが、友人は「大戦争がなくても、そういう風になったんだ」と言う。〈彼〉は広島に行ったが、原爆ドームがない。自分が間違っているのか、記憶は自分の胸にしまえばすべて丸くおさまる……?
《いや、そんなことはない! 夜半、突如として寝床の上にはね起きて、彼は歯噛みしながら心に叫んだ。夢とも思えぬ夢の中の轟々と燃えたける火焔と煙と熱い灰のむこうにひびく、焼け死んで行く何万人、何十万人の人々の、遠い阿鼻叫喚を彼ははっきりきいた。一万メートルの清澄の高空から、金属に包まれた業火を、無差別に、機械的にふりまくものたちと、地上で焔にまかれ、高熱のゼリー状ガソリンにまといつかれて火の踊りを踊りくるい、つむじ風にまい上るトタン板に首をきりさかれる人たち、髪の毛がまる坊主にやけ、眼をむき出し、舌を吐き出し、ふくれ上って死んでいったセーラー服の女学生、灰燼と化した家財と、飢餓と危険と疲労の中に荒廃して石と化した心、一瞬の灼熱の白光ときのこ雲の下に、やけただれた肉塊となり、炭となり、一団のガスとなって死んでいった何万もの人々……。》
殺戮、破壊、苦悩……、それらがなかったとしたら、血塗られた歴史をなかったことにするとしたら、現在が平和だったとしても、「その世界はどこか根本的に、重要なものを欠落させているのではないか?」と思う。
言わなければならない。〈彼〉は街頭に立ち、戦争体験、戦争の悲惨さを語り出す。(平野)